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2024-04-09

2-2 ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』

 ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』The Three Coffins(The Hollow Man) 1935
ジョン・ディクスン・カー John Dickson Carr(1906-77)
『魔棺殺人事件』 伴大矩訳 日本公論社 1936
『三つの棺』 村崎敏郎訳 早川書房HPB 1955
  改訂版 三田村裕 訳 早川書房HPB 1976
『三つの棺』 加賀山卓朗訳 ハヤカワミステリ文庫 2014.7



 カーはクイーンと並ぶ黄金期の巨匠だが、作品傾向はともあれ、その作家的姿勢には対照的なものがある。結論からいってしまえば、カーはイギリスに移住したことによってアメリカ作家に課せられる「重荷」をあらかじめ回避した。カーの創作において、道徳的命題は余計な事柄だった。

 パリを舞台にして最初の作品を書いたとき、カーの脳裏にあったのは先人ポーだけだったろう。しかしポーの時代とは比較にならないほど、パリはアメリカの知的な青年にとって身近な都会になっていた。カーは精神的亡命者ではないし、根無し草〈デラシネ〉志向でもない。彼の作品世界はイギリス社会という堅固な土壌を必要としていた。

 『三つの棺』は不可能犯罪を語る上での指標的な名作だ。


結末がわかっていても再読に足る作品のリストをつくっても高位にあがるだろう。複雑な解決の仕組みを理解するために三読は必要かもしれない。二件の殺人は、どちらも別種の密室状況で起こる。一つは、拳銃を撃った犯人が部屋から消失し、もう一つは、最初から姿の見えない犯人が路上で拳銃を撃って殺人を犯した、というもの。この小説は『うつろな男』というタイトルも持っていた。消えた犯人、もともと消えていた犯人は「うつろな男」だった。

 地中の棺から脱け出すマジックや悪魔学の講義が重要な背景に使われる。探偵役による「密室講義」が後半に置かれていることでも名高い。ミステリのなかでミステリを論じるという「自己言及性」の早い作例だ。カーの人物たちは、自分らが作中人物であることを自覚しているばかりでなく、進んで口にする。これは「読者への挑戦状」にも増して、ミステリ空間のゲーム性を強く意識させる。モラルが入りこむ余地はない。


 人間は機械トリックを成立させるための道具だ。人体が『エジプト十字架の謎』のようにT字型死体のオブジェとして使われるなら、掛け金をかける紐のような小道具として役立つのも当然だった。うつろな男、がらんどうの男なら、それも可能だ。カーの人間観は他のミステリ作家よりもはるかにラディカルに非人間的だ。ヒューマニズムはカーの世界においてはまったく無意味だ。外界からの強い切断がなくては、こうしたワンダーランドは成立しない。

 徹底した切断はいかにして可能だったのか。謎が小説内ですべて解決されているにもかかわらず、カーの世界は謎に満ちている。

2-2 ジョン・ディクスン・カー『火刑法廷』

 ジョン・ディクスン・カー『火刑法廷』The Burning Court 1937
西田政治訳 早川書房HPB 1955.2
小倉多加志訳 ハヤカワミステリ文庫 1976
加賀山卓朗訳 ハヤカワミステリ文庫 2011.8



 『火刑法廷』の探偵役は、この作品一作きりにしか登場しない。その理由を探れば、『火刑法廷』の作品世界の無類さにたどり着く。最後に明らかになるのは、「探偵の敗北」だが、クイーンの悲劇四部作と比べて、この様態ははるかに陽気だ。そしてある意味では根源的にミステリの原理を転倒させている。その根源性はカーのモラルからの自由さに応じたものだ。



 カーは怪奇趣味をミステリの背後に流れる効果音のように使った。『火刑法廷』では、三百年前の毒殺魔の話が印象的に冒頭に置かれる。これは通例なら、ゆっくりと後景に退いていく。ところがこの効果音がいつまでも鳴り響いて止まないのだ。毒殺事件の犯人が、三百年前の魔女ではないかという疑いが浮上してくる。行き過ぎた怪奇趣味ともみえるが、結末にいたるとその意味が大きく浮上してくる。カーのなかで見せかけの怪奇趣味と合理的な解決はうまく調停されてきた。しかし『火刑法廷』が狙い、達成した水準は、まったく別の絶無のものだ。



 そこではミステリと怪奇小説とが渾然と一体化している。溶け合い反撥し合うのだが、エッシャーの騙し絵のように、互いに相補して二つの解決を呈示する。毒殺事件にたいする合理的な解決と怪奇小説的非合理性にみちた解決と。二つが結末にくる。

 残念ながら、カーは同様の試みには二度と挑戦していない。





『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...