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2023-12-26

3-5 ジャック・フィニイ『盗まれた街』

 ジャック・フィニイ『盗まれた街』The Body Snatchers 1955
Jack Finney(1911-95)
福島正美訳 早川書房1957.12、ハヤカワSF文庫1979.3、2007.9


 サイコ・ミステリの発祥は、「自分の中の自分でない自分」の発見を意味していた。トンプスン的な内なる本質の凝視とは異なり、自分ではコントロールできない自分を見つけることだ。それは、一方では、旧来からあるドッペルベンガーの方向に向かう。その点は、ひとまず置いて、外から来るコントローラーがいかに造型されたかを考察しよう。

 外から人格もしくは精神を操り動かされるという恐怖。これは冷戦によって生じた特有のイメージでもある。

 『盗まれた街』の原タイトルは「ボディ・スナッチャー」。侵略SFの古典として長い生命を持つ。

 五〇年代に、英米SFは、ミステリとは少し時期をずらせて、黄金期をむかえていた。二つの領域に共通したキーポイントは社会化だ。ミステリに警察小説が根づいていくことにみられた社会意識の拡大は、SFの小説世界にも同様に起こっていた。その最も明確な現われが、異星人の侵略を手を変え品を変えて題材とする侵略ものの流行だった。


 エドガー・パングボーン『オブザーバーの鏡』1954、ポール・アンダーソン『脳波』1954、フレドリック・ブラウン『火星人ゴーホーム』1955など。

 大戦前とは別の意味で、世界は二分された。対抗する共産主義国家は異星人〈エイリアン〉にたとえられる。ファシストとの闘いよりも、苛酷なイメージが大衆化していた。これは敵側の強大さよりもむしろ、アメリカが対共産主義の第一線に立たされた状況を反映するだろう。同盟国はあっても、アメリカは冷戦の最前線に踊り出ていた。SFの設定で、前線が国内に求められるのも当然のことだった。国内のふつうのアメリカ人の脳を襲う侵略。



 『盗まれた街』の異種生命体は、巨大な豆のサヤの形態を持っている。それは大気のなかに産み落とされ、人間の肉体を模倣して成長を遂げていく。「奴らは水分を吸収して人間の形になる」。人間の肉体の多くの割合は水分から成っているからだ。

 肉体をコピーして、人間に成り代わる。コピーされた人間もどきが一つの地域を乗っ取る。一つの地域が済めば、別の地域へ。このようにして異星人の侵略がじょじょに拡がっていく。こうした被侵略のイメージは、数多くの小説や映画で反復されてきたので、ごく親しい風景のように刷りこまれている。操られた人間もどきとは、最もポピュラーなエイリアンの姿ではないだろうか。


2023-12-25

3-5 ロバート・ハインライン『人形つかい』

 ロバート・ハインライン『人形つかい』The Puppet Masters 1951
Robert Anson Heinlein(1907-88)
石川信夫訳 元々社1956.4 
福島正実訳 早川書房世界SF全集1971.1、ハヤカワSF文庫1976.12 2005.12

 侵略テーマのもう一つの傑作『人形つかい』は、いっそうの憎悪と恐怖をこめて、侵略者を造型している。異星人は灰色がかった半透明の生命体。形はナメクジそっくりだ。知性は? こんな生物に知性があるのだろうか。作者は再三、強調する。こんな生き物には知性があってはならない、と。

 そいつらは寄生虫なのだ。人間の背中に貼り着いて人間をコントロールする。人形つかい〈パペット・マスター〉だ。貼り着かれた人間は「人形」になる。魂も自分の意志も持たない人形、これもまた人間もどきの発展イメージだろう。ハインラインは侵略者と乗っ取られた者の姿をとりわけ醜悪に描くことによって、侵略テーマのイデオロギー的責務を明らかにしたといえる。


 彼の反共十字軍的体質はスピレーン以上に強固なものだった。侵略者はより醜怪に、侵略者と闘うヒーローはよりヒロイックに。冷戦小説とは、ハインラインにとって、愛国者の自衛戦争を描く一大スペース・オペラでもあった。「二〇〇七年」、任務を持った秘密捜査官が地球を救うために立ち上がる。彼らの闘いは「自衛する民主主義」というアメリカの伝統にきっちり連なっている。冷戦期を彩るスペース・カーボーイの物語には、一片の矛盾もみられない。敵をロシア人とか、共産主義者とか特定するよりも、寄生虫のイメージで通すほうが、カーボーイの愛国心を鼓舞するのに都合が良かった。

2023-12-24

3-5 リチャード・コンドン『影なき狙撃者』

 リチャード・コンドン『影なき狙撃者』The Manchurian Candidate 1959
Richard Condon(1915-96)
佐和誠訳 ハヤカワミステリ文庫 2002.12

 コピーによる人間乗っ取り、寄生による脳の操り。それが代表的な侵略SFの危機イメージだった。共通するのは、外からの侵入という因子だ。現実的な危機として取りざたされたのは、もう少し直接的な事象だった。洗脳、ブレイン・ウォッシングだ。外部からの攻撃を受けるという点では同じだが、これは想像の出来事ではなかった。

 アメリカは革命中国を喪った。連続した朝鮮戦争は、新生中国を倒すための代理戦争の意味をも持たされた。朝鮮戦争が政治レベルの休戦交渉の段階に入った五一年、中国・北朝鮮側は、アメリカによって細菌兵器が使用されたと抗議した。さまざまの物証が呈示されたが、この件において、定説となるような確定事項はない。論者の立場によって、使ったとも使ってないとも主張される。朝鮮戦争史をあつかうあらゆる言説がそうであるように、水掛け論が

ここでも展開された。中国側は、捕虜にしたアメリカ兵士に罪状を告白させた。証言した兵士は祖国にもどってから証言には圧力があったことを明らかにする(当然これにたいしてアメリカ政府の圧力があったとするコメントも発生した)。ここで洗脳という言葉がにわかに脚光を浴びたのだった。

 用例の一つ――。洗脳されたアメリカ兵が「自分は細菌爆弾投下に従事した」と告白した。

 これは共産主義の非人道性を攻撃する論拠になることが多い。シベリアに抑留された旧日本軍兵士が数年して故国に帰されたさいにも、同じ用語が使われた。洗脳とは、当初、共産主義思想を注入して個人の「思想改造」を試みることを指した。ナメクジ状生命体の寄生による脳コントロールというハインラインのイメージは、洗脳「される側」のおぞましさをよく表わしている。後に『人形つかい』は映画化されて、『ブレイン・スナッチャー』と改題された。脳に取り憑くのだから、こちらの語感のほうが近いだろう。

 『影なき狙撃者』は、洗脳の諸影響をあつかった作品として(事実がどれほど取りこまれたかはさておいて)異色だ。ポリティカル・サスペンスとしてもかなり先駆的だろう。

 戦争で捕虜となった兵士が複雑なメカニズムの洗脳を施されてアメリカにもどってくる。スパイ小説におなじみのスリーパー・エージェントに近い存在。彼の脳にセットされた謀略を軸にストーリーは転がっていく。脳に施されたのは、正確には、後催眠だ。組みこまれた暗号がある配列を取ると、一定の指令として伝わる。しかし、あえて作者は、洗脳も催眠術も意識的に混同させて使っているように思える。

 それだけなら怪しげな謀略小説に終わったところだ。『影なき狙撃者』の効用は、マッカーシーイズムについて、大胆な解釈を試みたところにある。赤狩りはしばしばジョゼフ・マッカーシー議員の個性に引きつけて語られすぎている。小説は、彼をモデルにした人物を登場させて、そこに二点のフィクションを加えた。一は、彼を大統領候補に仕立てたこと。二は、候補の妻(名前はエリノア。F・D・ルーズヴェルトのファースト・レディと同じだ)に隠れたコントローラーの役割を振ったこと。彼女はアメリカのビッグ・ママだ。彼は妻の意のままに操られていた、というわけだ。

 マッカーシー的人物のほうが「操られた人形」だったとする解釈はスリリングだ。マッカーシー議員が用いたデマゴギーの低俗さや彼の個人的な性向の破廉恥さは名高いものだった。現実の上院議員は悪名を残した道化役だが、小説中の大統領候補は道化そのものだ。

 候補が暗殺のターゲットだと明らかになることによって、小説は別の深みを与えられた。兵士も候補も、ともにビッグ・ママの支配下にあることは疑いない。もしかすると、兵士が敵の洗脳にあっさりしてやられたのは、マザコンという決定的な弱みをかかえていたからではないか。いや、本当にそうだ。ところが標的になった候補はもともと妻に操られるだけの実体のない人物だった。

 兵士は(もし仮に)洗脳から自由になったとしても、信心深いアメリカン・マザーからは自由になれないだろう。こうした確信をもたらせるところなど、『影なき狙撃者』という小説は、妙に「予言」にみちている。現職アメリカ大統領と彼のママ(二代前のファースト・レディだ)との結びつきの強さを連想させる。

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...