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2023-12-18

3-7 ヘレン・マクロイ『暗い鏡の中に』

 ヘレン・マクロイ『暗い鏡の中に』 Through a Glass, Darkly 1950
Helen McCloy(1904-94)
高橋豊訳 早川書房1955.11、ハヤカワミステリ文庫1977.6 
駒月雅子訳 創元推理文庫2011.6

 自分の中から追放された自分の物語。十九世紀ロマン派の紋章でもあったドッペルゲンガーの物憂い夢は、ミステリとそれほど友好的な関係にあったわけではない。双子の替え玉というアイデアは比較的、トリックとの相性は良かった。けれど分身〈ダブル〉の出現は、論理的な構成という観点からみると、どうにも場違いにならざるをえなかったようだ。カーおよびカーの熱心な信者たちは、特別のこだわりをもって超常現象をミステリと合体させようとした。しかしその試みは、例外はあっても、装飾的な側面にかぎられていた。

 分身〈ダブル〉による殺人事件。容疑者も解決編の犯人も、どちらも分身〈ダブル〉。それは初めてマクロイによって描かれる。

 ダブルがダブルを殺す事件。

 これは、ポーの「ウィリアム・ウィルスン」の再生という一面もあるが、そこをさらに突き抜けた試みだといえる。

 同タイトルの短編版は二年先んじているが、基本形は同じだ。余韻たっぷりの思わせぶりで引き延ばされた長編版のラストは、読み手にさまざまの想像を膨らまさせる。だがトーンの変更はない。

 ドッペルゲンガー現象については、『暗い鏡の中に』にも、いくつかの可能性が考察されている。一は、容疑者がなんらかのトリックを弄して分身を出現させた。二は、無意識に夢遊状態の行動をした。三は、容疑者が分身の姿を空中に投影してみせた。この考察はミステリを進行させる手続きとしてなされる。

 容疑者は、計七回、分身を目撃される女教師。彼女は以前の職場でも同様の分身騒ぎを起こしていた。

 彼女は前半では容疑者として疑われ、後半では密室殺人の被害者となる。作者は、事件を現実らしくするために、実在のドッペルゲンガーの症例を引用する方法を手堅く取っている。そして物語内の事件はすっきり合理的に解決する。探偵役の精神科医が犯人を追いつめて真相を看破するというミステリに不可欠な場面は省略されていない。だが探偵は、引用の症例については解釈がつかないと強調する。二面作戦だが、神秘は神秘として、アンタッチャブルにするという配慮だろうか。

 《きみは勝手のわからない薄暗い部屋に入ったとき、見知らぬ人がきみに近づいてくるのを見たことがあるかね。……その見知らぬ人が鏡に写ったきみ自身であることに気づいた経験があるかね》

 だが合理的解決は、無数にある非合理な(小説のなかにおいてのみ可能な)解決のすべてを抜き去るほど特別のものではないことに、読者は気づく。これは解決編の説得力の問題ではない。合理を優先させるというミステリのルールそのものに内在する問題だろう。

 ともあれ、この小説には、暗い鏡の中に入っていったマクロイがまだそこから出てきていないのではないかという不審をいだかせるところがある。これはルイス・キャロル『鏡の国のアリス』1871(角川文庫)とミステリが交差するところに生ずる不協和音だ。マクロイはこの不協和音を鳴り響かせて、放置したようにすら思える。

 鏡は『三つの棺』では密室トリックの構成要素でもあった。その観点からいえば、『暗い鏡の中に』も密室トリックの変奏として受け取られている。分身〈ダブル〉イメージそのものは解決されていない。手つかずなのだ。

 鏡と分身イメージについては、マーガレット・ミラー『狙った獣』1955の冒頭に印象的なシーンが出てくる。ドッペルゲンガーを多重人格の方向から考察しようとする傾向がぼちぼちと生まれてきていた。サイコ・ミステリの兆しだ。マクロイの作品は、こうした予兆を強くまとったものだったが、充分な追求はなされないまま終わった。

2023-12-17

3-7 ビル・S・バリンジャー『歯と爪』

 ビル・S・バリンジャー『歯と爪』The Tooth and the Nail 1955
Bill S. Ballinger(1912-80)
森本清水訳 東京創元社クライム・クラブ 1959.8、
大久保康雄訳 創元推理文庫 1977.7

 もう一冊の分身小説。

 『歯と爪』はトリッキィなサスペンスとして名高いが、隠れたテーマは分身だ。挫折したドッペルゲンガーの話だ。作者の興味が分身を追うことよりも、分身テーマを描く技法にあったことは間違いない。

 プロローグでは、主人公の奇術師が紹介される。彼のなしたこと。一、復讐を遂げた。二、殺人犯人となった。三、自分も被害者となった。一人二役だ。復讐と殺人が区別されているところに注意すれば、一人三役となる。「被害者を捜せ」「犯人を捜せ」タイプの新種ということはわかる。


 作者はこれを、二種の叙述法によって処理する。一つの流れは、奇妙な殺人事件をめぐる裁判の記録。もう一つは、一人称で語られる恋愛ストーリー。客観叙述の裁判記録は時間軸を逆にたどり、一人称の物語は時間軸にしたがって進行する。交差する流れはどこかで合流をみると予想させる。

 二種の叙述と並行する時間進行とが、分身を可能にするキーだ。これは叙述トリックの技法としては、すでに教科書的ともいえる。F・ブラウン『彼の名は死』で、多数の人物に視点を分散することによって、エンディングの意外性を際立たせようとした。バリンジャーの技法は、並列ではなく、交差だ。二種の話が衝突してくるところに物語の焦点を置いた。一人三役の完成だ。


 さらに作者と版元は、この解決編を袋綴じにして、独創性をアピールした。書物の封印された末尾。これは「読者への挑戦状」以上に好奇心をかきたてるものだった。本そのものにトリッキィなオーラがまつわりついたともいえる。書物はもちろん、その書かれた内容のみで読者を捕らえるのではない。パッケージ全体が「書物」なのだ。袋綴じは、叙述の仕掛けをさらに強化するアイテムだった。


 こうした形式上のトリックも相まって『歯と爪』は歴史をつくった。


2023-12-16

3-7 ジョン・フランクリン・バーディン『悪魔に食われろ青尾蠅』

 ジョン・フランクリン・バーディン『悪魔に食われろ青尾蠅』Devil Take the Blue-Tail Fly 1948
John Franklin Bardin(1916-81)
浅羽莢子訳 翔泳社 1999.10、創元推理文庫 2010.12

 時代に先んじすぎた作品は、しばしば気の毒な軌跡を強いられる。『悪魔に食われろ青尾蠅』も異常心理を迫真的に追いつめる筆致によって、発表当時は不遇をかこった。マクロイやバリンジャーのケースにも明らかなように、サイコはまだ一編を満たすテーマとは意識されていなかった。バーディンは、認知されていない領域に正面突破をはかったとみなせる。

 話はヒロインが精神病院から退院する朝から始まる。ストーリーはひたすらこの女性の内面に粘着して進行していく。彼女のなかに現われてくるのは忌まわしい分身だ。過去に受けた家族からの虐待、記憶のひだにまつわりつく殺人。サイコ・ミステリの基本的な小道具はそろえられている。「青尾蠅」を歌う黒人霊歌が悪魔の声の代用としてヒロインに侵入してくる。

 彼女はハープシコード奏者だ。作品のなかには、クラシックを中心に多くの音楽が引用されている。それらはおおむねヒロインの内面の豊かさを映す。だが南部なまりの黒人が口ずさむフォーク・ブルースは別だった。それは混乱の引き金だ。「この男は何かが起きたことを知っている」と彼女は怖れる。黒人は彼女の機嫌を取るように、ギターの曲目をゴルドベルク変奏曲に変えてみせる。だが彼女は元にもどれない。突然の変調を語る場面も繊細な音楽を通して描かれる。作者の計算は、こうした細かい場面にも行き届いている。

 トンプスンが粗暴な加害者のモノローグによってなした貢献を、バーディンは被害者の物語を描くことによって果たした。どちらも、サイコものの先駆作だ。分身〈ダブル〉の発見という意味では、こちらがはるかに徹底している。

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...