スティーヴン・キング『シャイニング』The Shining 1977
Stephen King(1947-)
深町眞理子訳 文春文庫
彼は、単一の小説作品の成功のみではなく、アメリカン・ポップ文化のグローバルな発信人としての王座を得つつあった。王座を彼は、同年生まれの映画作家スティーヴン・スピルバーグと分け合った。それは同時に、六〇年代のカウンター・カルチャーの恩恵を全身で呼吸しながら育った身勝手なベビー・ブーマーたちが、自前のコミュニケーション・システムを創り出してきたことを意味する。キングは代表選手に育っていった。
『シャイニング』の主要人物は、駆け出しの若い作家と妻、彼らの五歳の息子とに、ほとんど限られる。出没する幽霊や妖怪たちは極彩色にけばけばしく多彩だが、外部にいる人物はごく少なくしか登場しない。息子は異界と通じ、若い父親はホテルの魔にからめとられる。彼の精神が蝕まれていく様相は異世界の案内役でもある。過度の飲酒、幼児期のトラウマ、抑制できない暴力癖。通常の小説なら主人公の試練を形作る要素がすべて、彼をホラー領域に誘うためのパワーとなる。
彼は狂気の人ではなく、異次元の満ち足りた住人へと変身する。『シャイニング』は裏返しにされた自己形成小説〈ビルドゥングス・ロマン〉だ。そしてベビー・ブーマー世代の家族の物語でもある。全世界的に人口増加をみた時代の当事者たちが成人して自前の家族を持った。親たちへの反抗によって自己形成した世代が、家族の問題に突き当たって試みた、一つの答えがここにある。
『キャリー』1974(新潮文庫)、『呪われた町』1975(集英社文庫)、『シャイニング』と、キングは、マニアックなゴシック・ロマンを広大な荒野に解き放った。家族の物語の後日譚は『ペット・セマタリー』1983(文春文庫)に描かれた。彼が身近に使った道具は、コミックブックやB級SFやポップミュージックだった。彼を文化全体に精通したマスターとみなす者はだれもいないだろう。
キングが体現したのは、サブカルチャーがメインカルチャーを包囲し、それに取って代わるという六〇年代文化革命の日常そのものだった。常に過剰でとどまるところを知らないデティール描写、迫りくる効果音にも似た「影の声」の挿入。キングが定着した技法は、活字領域以外からもたらされたものが多い。効果音は反復されるが、意味を満たされているわけではない。キングは、短編ホラーの世界に純化して封印されてきた手作りの恐怖を、分厚いペイパーバックの見世物小屋的世界に拡大した。活字は無色だが、それが喚起してくる興奮は原色にぎらついている。
きわめて映像的でありながら、キング本がたいてい原作とは似ても似つかない奇妙な映画になってしまうことも面白い現象だ。キング世界は安っぽく下品な言葉の奔流から成り立っている。構成要素を移し変えてみると、それらは復元不可能だと了解される。品性の欠如はうわべの印象にすぎず、本質はその奥に隠されているのだが、それを映像的に翻案してくることが困難なのだ。