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2024-04-11

1-1 ジャック・フットレル「十三号独房の問題」

 ジャック・フットレル「十三号独房の問題」The Problem of Cell 13  1905
Jacques Futrelle(1875-1912)



 まず二十世紀初めのアメリカを思い浮かべることから始めよう。

 この国はまだ世界の一等国ではない。グローバリゼーションの先頭で号令をかけているわけではないし、国際社会の「悪者」に向かって「正義の銃弾」を好き勝手にぶちこむ力を備えているわけでもない。文化的にいっても、後進的な辺境という位置にとどまっていた。

 世界を束ねる文化的シンボルを発信することはおろか、自国の文化を誇りをもって輸出する


までも到らなかった。アメリカのなすべきこと〈ビジネス〉はビジネス。文化は期待されていない。

 名探偵が難事件を解決するという、ポーの発明になるミステリ形式も、イギリス産のホームズ経由で逆輸入された。あるいは、事態を強引に解釈すれば――。ホームズ物語が人気を博したのはアメリカ式の雑誌連載短編の形だった(先に刊行された長編二編はあまり評判にならなかった)から、「短編の原理」というアメリカの手柄は有効にはたらいた。


 ホームズの後継者の多くの探偵たちのうち、フットレルの主人公は、比較的早く登場し、しかも長く名前を残した。

 探偵は「思考機械」と仇名される。その本名と科学者としての肩書きを列挙するだけでも、アルファベットの全文字を使いきって足らない。異様に高く張った広い額の大頭。子供のような肉体はその大頭を乗せるには虚弱すぎる。コミック風に誇張された容貌は、論理的推理にのみ生きる存在にふさわしい。

 彼が初めて登場する「十三号独房の問題」はシリーズ中で最も有名な短編。天才探偵が脱出不可能な刑務所の独房から一週間の期限を切って脱出してみせる話だ。


 この一編を含む第一短編集『思考機械』が刊行された1907年には、イギリスでフリーマン、フランスでルブランルルーが登場した。記念すべきメモリアルに、アメリカ作家も遅れをとっていなかった。

 探偵役のキャラクターは奇人探偵というルールに沿っている。推理機械に徹していて、プラス・アルファがない点はかえって時代を超越する。感情のない機械を思わせる探偵の性格にしろ、不可能犯罪へのこだわりにしろ、奇妙に一回りして現代に通じてくる。シリーズ全作品は四十五編あるというが、うち三十編は日本語訳されている


 作者はタイタニック号に乗り合わせていて遭難した。短編六編が作者とともに没したといわれる。生身のフットレルは、思考機械とは違って、脱出不可能な状況から生還できなかったわけだ。

押川曠訳『思考機械』 ハヤカワ文庫 1977.6
宇野利泰訳『思考機械の事件簿』 創元推理文庫 1977.7(後の版では表題に「Ⅰ」の文字が追加される)
池央耿訳『思考機械の事件簿Ⅱ』 創元推理文庫 1979.12
吉田利子訳『思考機械の事件簿Ⅲ』 創元推理文庫 1998.5
(ただし、この3巻選集には「十三号独房の問題」が収録されていない。同文庫のロングセラー古典である江戸川乱歩編『世界短編傑作集1』 1960.7 新版2018.7 で読むべし、ということであろう)

1-1 メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』

 メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』Uncle Abner
Melville Davisson Post(1869-1930)
『アンクル・アブナーの叡智』吉田誠一ほか訳 ハヤカワ文庫 1976.8
『アブナー伯父の事件簿』菊池光訳 創元推理文庫 1978.1、2022.10


 思考機械につづくアメリカ産名探偵はアブナー伯父だ。最初の短編「神の使者」が雑誌掲載された1911年は、チェスタトンのブラウン神父シリーズの第一巻が出た年でもある。これも先駆者として讃えられる名前だ。

 アブナー伯父ものは、十九世紀アメリカ中西部を舞台にした歴史小説としても読める。作品が背景とする時期は、ジェファースン時代の十九世紀初めと、南北戦争前の十九世紀なかばと、二説がある。いずれにせよ作者が「現代」を描くことを避けた点を注目すべきか。

 密室殺人の機械トリックで有名な「ドゥームドルフ事件」のように、トリッキィなものもあるが、探偵が体現しているのは、法と信仰という二つの柱だ。古風なモラルは古びるのではなく、一貫してアメリカの娯楽小説に流れているといえる。作者は弁護士でもあったから、リーガル・サスペンスの先駆けを見い出せる。

 これも有名な「ナボテの葡萄園」に、その定式は表われている。アブナー探偵は法廷の場で犯人を追いつめる。進退きわまった犯人は法廷侮辱罪に問うと脅しつけてくるが、探偵は全能の神の名において反撃する。法と正義と。その二本柱がいささかストレートに表明されるところが、このシリーズの持ち味となる。

 これはアブナーの個性であるのみでなく、作家の姿勢をも語っていた。思考機械にしろ、アブナー伯父にしろ、探偵という人物がいかに社会的な認知を得ていったかを強く反映する。認知を得ることができたかを、である。前者は人間的属性をできるかぎり削り落とす方向を取り、後者はあつかう事件の質はどうあれ作品外にあるイデオロギーで自らを武装していた。そして、どちらも異なった位相において、現代とはずれたところに身を置いていた。

 この点は、第一走者たちの作品を読む上で見落とせないところだ。

 同じ時期、フレドリック・アーヴィング・アンダースン『怪盗ゴダールの冒険』1913(国書刊行会)、エドガー・ライス・バローズ『ターザン』1914(創元推理文庫)などの読み物があった。


1-1 アーサー・コナン・ドイル『恐怖の谷』

 アーサー・コナン・ドイル『恐怖の谷』
 Arthur Conan Doyle(1859-1930)
『恐怖の谷』 The Valley of Fear  『ストランド・マガジン』1914.9-1915.5 初出

   マーティン・リット『男の闘い』 THE MOLLY MAGUIRES 1969

 もともと発明者ポーは、探偵デュパンの肖像を、当時の国際都市パリに住む遊民として描いた。国籍も職業も持たない自由人。こうしたタイプにヒーロー役があてられたことの意味は大きい。アメリカに生きるアメリカ人はミステリという新形式の主人公にはなれなかった。ポーの時代においていっそう鮮明だった文化の後進性は、思考機械やアブナー伯父の登場によって払拭されたわけではない。

 ドイルのホームズ物語の成功は、さまざまな観点から述べられてきた。ウィリアム・ゴドウィン、エミール・ガボリオと、探偵像の源流をポー以外に求める考察もある。

 だが、なぜ彼がかくも長きにわたって広い人気を博しているかは、必ずしも解明されていないように思える。ドイルのストーリー・テラーとしての卓抜さを讃えることでは、この点は深まらない。素人探偵がヒーローになるためには、捜査能力において警察組織よりも優秀という人物が客観的に受け入れられる素地が必要だ。ホームズはデュパンのような遊民ではない。最初から体制側に寄り添った人物であることは間違いない。彼の足は十九世紀末のヴィクトリア朝社会にしっかりとついている。なかば職業的に犯罪を捜査する異能の人物は当の社会に確固たる位置を占めることができた。彼は、犯罪にたいする好奇心と刺激を求める知的スノビズムの具現化ともいえる。

 ヒーローが当該社会に根ざすことのできる安定した位置。これこそ、アメリカの「後進的」ミステリ作家が望んでも得られない渇望の的だった。矛盾はそれを鋭く意識した者によってしか解決されない。二十年代なかばまでそうした存在は現われなかった。

 『恐怖の谷』は、ホームズ譚四長編の最後の作品となる。事件がいったん解決をみた後、第二部の独立した因縁話がつけ加わるといった構成は『バスカヴィル家の犬』を除く他の二長編と同じだ。第二部の舞台が、未開の土地、植民地に取られる点も共通する。ただし『恐怖の谷』の場合は、一八七五年のアメリカ中西部となる。架空の土地名がつけられているが、ピンカートン探偵社は実名で、しかも善玉として出てくる。第二部の話にはモデルがあるが、鉱山町での労働争議にピンカートン社の労働スパイが潜入して組合潰しをはかったことは、公平に描かれているわけではない。労働側に立つか資本家側に味方するかは別としても、作者の視点において、アメリカは(この地方だけにしても)完全な未開の土地だ。

 ホームズ譚においては興味深い統計がある。短編五十六編、長編四編からなるその背景には、非ヨーロッパ世界が強く関わっている。数でいえば半数以上の三十二編。インド、アフリカなど、当時の大英帝国の版図がそれにあたる。犯罪の素因は、植民地もしくは未開の土地でつくられ、イギリス本国に還流してくるという構造だ。野蛮は野蛮の地にある。西欧小説が「自然」とみなした世界観はミステリにもそのまま採用されている。探偵の身分的安定とは、植民地経営が良好にいっていることの尺度でもあった。ホームズ物語が、大英帝国による支配文化を「最も包括的に記録したテキストだ」(正木恒夫『植民地幻想』みすず書房)とする見解はまったく正しい。

 ドイルの物語世界がイギリスによる支配システムを正確に反映していたことは了解がつく。しかし『恐怖の谷』はどうであろうか。十九世紀後半、アメリカがイギリス植民地でなくなってから百年は経過していたはずだ。あるいはドイルの意識内においては、そうした事実はなかったのかもしれない。この点、アメリカ人にとっては(とくに)この小説は憤激の的だったと思える。

 犯罪の源流を国外に求めるという発想は、少なくともアメリカのミステリ作家には訪れなかった。

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...