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2024-04-11

1-2 S・S・ヴァン・ダイン『ベンスン殺人事件』

 S・S・ヴァン・ダイン『ベンスン殺人事件』The Benson Murder Case 1926
S. S. Van Dine(1888-1934)
松本正雄訳 世界探偵小説全集 第20巻 平凡社 1930
延原謙訳 新樹社 1950
井上勇訳  創元推理文庫 1959
日暮雅通訳 創元推理文庫 2013.2

 ようやく二十年代を迎えて、アメリカという一国に特殊な状況をふまえた、アメリカにしか生まれない人間タイプがミステリの主人公に選ばれる条件が熟した。ヴァン・ダインのファイロ・ヴァンスとダシール・ハメットのコンティネンタル・オプ。彼らは、ポーの探偵風に自分の国のことを恥じ、蔑んでいるが、そこに居住せざるをえない人物だ。

 二人の作家は、作品世界も主張も気質もすべて異なるが、共通するところは一点、第一次世界大戦の影だ。ヴァン・ダインにとって、大戦はアメリカがイギリスの文化的植民地から脱するための好機でありながら、戦時体制による抑圧は悪夢にも似たものだった。もう少し年少のハメットは従軍世代に属していた。

 《アメリカの百万長者の死体が発見されたという書き出しで始まる探偵小説は、寒心に耐えぬことであるが、すでに百をくだらない》というのは、チェスタトンのブラウン神父シリーズの一作の書き出しだ。この一編を含む第三短編集『ブラウン神父の不信』1926 (福田恒存、中村保男訳 創元推理文庫)は、ヴァン・ダインのデビュー作と同じ年に刊行された。いかにも底意地の悪い皮肉だ。これを枕に作者は、三人のアメリカ人の大富豪が殺される話を始めるのだから。

 おそらくこうしたイギリス人の身勝手なユーモア(要するに、帝国主義者特有の優越意識)を前にすると、ヴアン・ダインは身震いするくらいに怒りをおぼえるタイプの人物だったのだろう。『ベンスン殺人事件』もまた、殺された百万長者によつて幕開けする物語だ。金ピカ時代のアメリカ資本主義の勇猛さは、一部の読み物に「百をくだらない」パターンを生み出していたらしい。ミステリのなかで殺されるのが通例の人間類型とは、現実世界では「殺しても死なない」タフな存在だったのだと思える。十九世紀のアメリカ労働運動史を少し調べれば、この種の資本家紳士録にも詳しくなる。ついでにいえば、『恐怖の谷』が描いた「未開の地」の冒険ロマンのでたらめさも見えてくるだろう。

 ヴァン・ダインには、美術評論家・雑誌編集者としてのキャリアがすでにある。二十代なかばで「スマート・セット」誌の編集長になったことが、彼の早めの一頂点だった。ペンネームにつけたS・Sは雑誌名からとった。彼はあれこれと気の多い人物で、第一次大戦前の文学的革新思想の洗礼を受けていた。モダニズム思想には何でも影響されるという後進国知識人の典型で、イギリス嫌いのドイツ贔屓だ。大戦下の抑圧・弾圧を受けて精神的災害をこうむった。ニーチェかぶれの半端なインテリにはずいぶんと生き難かったのだろう。

 彼が高名になってから記した自伝はわりと面白い読み物だ。大戦期の後、心労によって神経を病んで病床についていたと書いてある。知的刺激のある読書を禁じられたので、代用にミステリを読み始めた。すっかり病みつきになり、二千冊を読破した。この形式に実作をもって奉仕したいと思った、と。魅せられた魂の記録を綴る文体はなかなか感涙ものだった。

 死後半世紀して出た待望の伝記『エイリアス・S・S・ヴァン・ダイン』(未訳)後注は、このあたりの件が大嘘だったと暴いている。友人のあいだでは、ホラ吹きで通っていたらしい。二千冊読破、というのがご愛敬だ。病床にあったのは事実でも、病名は阿片中毒だ。ユーモアのかけらもない作風や「探偵小説二十のルール」から推して、自伝の自己申告を疑ってかかる理由はなかった。

 ヴァン・ダインはミステリの近代的確立をめざした。厳格なルール設定によって無駄なものを排する。ミステリはフェアプレイによって闘われる頭脳ゲームだ。作者は、手がかりをすべてさしだし、推理の過程も見せねばならない。探偵の下僕である警察は組織的かつ科学的捜査によって奉仕する。捜査チームの活動を重視したのも彼に始まる。一方、犯罪は芸術であるから、その解読・推理は選ばれた者たる探偵のみに可能な崇高な作業となる。小説はロマンではなく、推理ゲームの素材だという信念から、各章の頭に、日時、時間、場所を明記した。近代化確立こそ(彼の欲求にしたがえば)、後進国文化からの脱却の正道なのだった。

 もう一つ彼が定理とした要素は、ヒーローとしての探偵という観念だ。この点では、作者はニーチェ主義に忠誠を捧げた。探偵は超人である。「神は死んだ」のだからミステリ世界にあっても、神はいない。いるのは超人だ。このような極端な主張は、ヴァン・ダイン以前にはだれも公にしていない。探偵は、限定された作品世界にあって、オールマイティなのだ。ヒーローと作者は幸福な一致をみている。

 また、探偵の装飾物として度外れたペダンティズムも導入した。知識は力なりだった。超人探偵とペダンティズム。二つながらに、彼の理想としたミステリ近代化路線を大幅にはみ出す要素だった。

2024-04-10

1-2 S・S・ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』

 S・S・ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』The Bishop Murder Case 1929


 残念なことに、さまざまの理由が重なってか、ヴァン・ダインのテキストのおおかたは時代遅れのものとして敬して遠ざけられる傾向にある。よほどマニアックなミステリ原理主義者でも、ヴァン・ダインの再評価にたいしては慎重なようだ。彼は、ミステリ作家が命を削って書ける傑作は六作が限度だと表明し、じっさいはその倍の数を刊行したが、後期のものの出来映えは彼の言を証明してしまった(最後の作品は完成稿までいたっていない状態で残された)。

 三作目の『グリーン家殺人事件』1928と四作目の『僧正殺人事件』が名作リストに残される。



 もっともこの二作品が評価されるさいには、探偵が大間抜けに見える実例というマイナス点が付属する。これは超人探偵の創始者としてはあまり名誉なことではあるまい。名作という評価のみで読まれなくなる理由は、小説としての無味乾燥さにもある。これは、作者が自分のつくったルールに忠実に小説を読む悦びを排除してしまったからなのか、あるいはじっさいに眼高手低の書き手だったからなのか。自伝のような人を食った代物を後代につかませた作家が小説の腕がなまくらだったとも思えないのだが……。

 『グリーン家殺人事件』の、ゴシック調の古い館で連続殺人が起こるというパターンは古典的な原型だ。それ以上の積極評価が出ないのは、この型の後続する作品に優れたものが多いからであり、ヴァン・ダインの責任ではない。


 『僧正殺人事件』のアイデアは、その点、いまだに独創性を維持している。マザーグース見立て殺人、そして閉ざされた精神的共同体における異常な妄想の肥大。二十年代末という時点で、人間的モラルの欠如した物理学者をタイプとして呈示することは、充分に予言的だった。量子力学が何を人類にもたらせるかまだ定かでなかった時点で、こうした狂気を描き得たことは、作家の名誉に属するだろう。




主な翻訳

武田晃訳 改造社 1930、新樹社ぶらっく選書 1950
中村能三訳 新潮文庫 1959
井上勇訳 創元推理文庫 1959


鈴木幸夫訳 角川文庫 1961、 旺文社文庫 1976
平井呈一訳 講談社文庫 1976.12
宇野利泰訳 中央公論社 1977.9 
日暮雅通訳 集英社文庫 1999.5、創元推理文庫 2010.4


1-2 アール・D・ビガーズ『チャーリー・チャンの活躍』


 アール・D・ビガーズ『チャーリー・チャンの活躍』Charlie Chan Carries On 1930
Earl Derr Biggers(1884-1933)
佐倉潤吾訳 創元推理文庫 1963.8


 ヴァン・ダインと同時代で、彼の作品ほど重要ではないが、やはり忘れられつつある存在に、チャーリー・チャンのシリーズがある。ビガーズの登場は、ヴァン・ダインより一年早い。

 探偵役はホノルル警察に所属する中国人警部だ。作者が奇をてらったのは、東洋人をミステリに登場させた点のみだろう。チャン探偵は人好きのする常識人であり、中国系ハワイ系アメリカ人という個性を与えられていなければ、それほど魅力を放たなかった。

 世界周遊旅行の観光船で連続殺人が起こる。先陣を切って殺されるのは、やはりアメリカ人の大富豪である。ニューヨークから発してロンドン、パリ、ニース、サン・レ


モ、インド、シンガポール、香港、横浜、ホノルル、サンフランシスコという旅程だ。船による世界一周という時代色が何とも懐かしい。豪華観光船クルーズという形式なら現代でもつづいているが、ミステリ・ツアーの趣向にはもはや物珍しさを感じないだろう。これは、二十年代ならでは旅情ミステリなのだ。

 チャン探偵のシリーズは映画化も人気を博した。オリジナルは六編しかないが、それから離れて四十本近くがつくられた。



主要翻訳リスト

『鍵のない家』1925 小山内徹訳 芸術社 1957、 林たみお訳 論創社 2014.8
『シナの鸚鵡』1926 三沢直訳 早川書房HPB 1954.9
『カーテンの彼方』1928 西田政治訳 早川書房HPB 1955.4
『チャーリー・チャンの追跡』 乾信一郎訳 創元推理文庫 1972.2


『黒い駱駝』
1929 林たみお訳 論創社 2013.6
『チャーリー・チャンの活躍』 1930 佐倉潤吾訳 創元推理文庫 1963.8
 『観光船殺人事件』 大江専一訳 春秋社 1935
 『観光団殺人事件』 長谷川修二訳 雄鶏社 1950
 『チャーリー・張の活躍』 長谷川修二訳 早川書房HPB 1955.9
『チャーリー・チャン最後の事件』  文月なな訳 2008.11

『別冊宝石45』 1955.2ーー『鍵のない家』The House without a Key
五十本の蝋燭』 Fifty Candles 『黒い駱駝』 The Black Camel(後の二本は抄訳)


1-2 T・S・ストリブリング『カリブ諸島の手がかり』

 T・S・ストリブリング『カリブ諸島の手がかり』Clues of the Caribbees 1929
Thomas Sigismund Stribling(1881-1965)
倉坂鬼一郎訳  ‎ 国書刊行会  1997.5、河出文庫 2008.8

 イタリア系アメリカ人ポジオリ教授を名探偵役とするシリーズ。ヴァンス探偵の先行者もしくは同時代人として、やはりアメリカの地に足がついていない探偵類型に分類できるだろう。思考機械、アブナー伯父、チャーリー・チャンと同列に属する。ただストリブリングの作品には、独特の過剰な要素があって単純には割り切れない。比較のしようがないところがある。それは『カリブ諸島の手がかり』という短編集にかぎっての傾向ともいえる。

 過剰な要素とは何か。一つは、カリブ海域という舞台。もう一つは探偵がかいくぐる運命の質。舞台に関しては、植民地を扱った珍しい試みになっている。アメリカの歴史は植民地経営に関わってはいないが、事実上、植民地化した地域を有している。犯罪が植民地から流れこんでくるというホームズ的・イギリス風のパターンは採用されない。


ポジオリ探偵は現地に身を投じていく。「未開の土地」に身を投じることによって、もう一つの要素の、探偵の運命も決定される。最後の一編「ベナレスへの道」は不気味なテーマに直進していく。探偵の敗北、もしくは破滅だ。

 これはポジオリがさして名探偵ともいいがたい点とはあまり関係はない。彼は犯人の狡智に引き寄せられることを繰り返してきた。最後にはそして、犯人の手のひらで踊らされて終わる。

 一方で、ミステリの近代化が懸命に押し進められている時期に、名探偵の根底的な敗北の物語が書かれてしまったことには驚く。探偵の敗退とは、ミステリにおいて、ポストモダンのテーマだ。ただ作者は、この後もポジオリのシリーズを書き継いでいるいるから、「ベナレスへの道」のほうを、気まぐれな逸脱、番外編として例外視することもできる。じっさいそのほうが儀礼にかなったことかもしれない。


他の作品に

『ポジオリ教授の事件簿』1975 倉坂鬼一郎訳 翔泳社 1999.8

『ポジオリ教授の冒険』 霜島義明 河出書房新社 2008.11


『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...