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2023-12-06

4-4 アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会1』

 アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会1』Tales of the Black Widowers 1974
Isaac Asimov(1930-92)
池央耿訳 創元推理文庫 1976.12、2018.4


 謎解き興味を主体にした短編ミステリの需要は相変わらずつづいていた。新規に参入してきたのは、SFの分野で大きな名をなしているアシモフだった。彼には、すでに『鋼鉄都市』1954、『はだかの太陽』1957などのSFミステリ長編がある。

 アシモフはSF仕立てを離れた純然たるミステリのシリーズを思い立つ。食後歓談スタイルとでもいった基調。舞台は静かなレストラン、明るすぎない照明、心のこもったサービス、会心の料理。ここにミステリ談義が加えられれば、ベストという趣向だ。会員は互いへの敬意をもって徳とし、会員としての肩書きを名誉とみなす。常連メンバーは、化学者、数学家、特許弁護士、暗号専門家、作家、画家。この六人がおのおの持ち寄った事件を語り合い、推理を披露するというのが毎回の運びだ。


 作者は、さらにこのパターンにひねりを加え、ディナーを給仕するウェイターを真打ちの探偵役にすえた。彼は歓談の一部始終を耳にしている。ことごとく外れる推理の応酬が一段落ついたところで、やおら真相を解きほぐすのだ。名探偵というにはあまりに慎ましい口ぶりで。



 このシリーズの面白さは、話が進行していく人物配置の妙にある。複数のワトスン役が

椅子にすわり、安楽椅子探偵は立って給仕している。使用人は、ミステリのルールにおいては、たんに便宜的な存在(そこから生じる盲点をトリックに利用されるケースも含めて)としてあつかわれてきた。彼に探偵役を与えることによって、短編世界はいっそう緊密さを増した。

 『黒後家蜘蛛の会』シリーズは短編集五冊を数えている。


2023-12-05

4-4 エドワード・D・ホック「有蓋橋の謎」

 エドワード・D・ホック「有蓋橋の謎」(サム・ホーソーンの事件簿)
The Problem of the Covered Bridge 1974.12
(The Problems of Dr. Sam Hawthorne 1996)
Edward D. Hoch(1930-2008)
木村二郎訳 創元推理文庫 2000.5



 謎解きもの短編ミステリ作家には、ケメルマンヤッフェのような寡作タイプがいるが、逆に、ダーレスアシモフのように多作タイプもいる。

 ホックはそのなかでも、作品の多さでは随一の書き手だ。短編専門といってもいい珍しい存在で、長編作品はごく少ない。怪盗ニックものを始め、シリーズ・キャラクターが多いのも特徴だ。すべてのキャラクター・リストを並べると、一ページをゆうにこえるのではないか。そのうちの選抜メンバーで構成したのが、日本編集版の『ホックと13人の仲間たち』1978(ハヤカワミステリ文庫)だ。

 「有蓋橋の謎」で始まったサム・ホーソーンのシリーズは、不可能犯罪への挑戦というトーンで統一されている。


舞台は、一九二〇年代、さる田舎町。語りは、ホーソーン医師の回顧譚という形を取っている。歴史ミステリの体裁はアンクル・アブナーのシリーズを連想させるが、こちらはパズル解読が主になる。短い話に詰めこまれた不可能趣味のオン・パレードは壮観だ。

 ホーソーン医師ものは、EQMMに掲載され、六十編を超えている。日本編集版の短編集『サム・ホーソーンの事件簿』(木村二郎訳 創元推理文庫)が二冊ある。

2023-12-04

4-4 ドナルド・E・ウェストレイク『ホット・ロック』

 ドナルド・E・ウェストレイク『ホット・ロック』The hot rock 1970
Donald E. Westlake(1933-2008)
平井イサク訳 角川文庫 1972.6

 ウェストレイクは長編タイプの多作家だ。ペンネームもシリーズ・キャラクターも多種多彩。リチャード・スターク名義の『悪党パーカー/人狩り』1962(ハヤカワミステリ文庫)に始まるシリーズ、タッカー・コウ名義の『刑事くずれ』1966(早川書房 ハヤカワ・ミステリ)に始まるシリーズと、いずれも一方の代表作とも評価される。

 デビュー作『やとわれた男』1960(ハヤカワミステリ文庫)からの数編はハメットの影響が濃厚だった。ハメット派は(当時も)非常に珍しかったが、それはウェストレイクの一時期の意匠に終わったようだ。『我が輩はカモである』1967(ハヤカワミステリ文庫)では、ユーモア路線の才能を示した。次第に独自の犯罪小説のフィールドを開拓していく。ストーリーはおおむね軽快だが、軽ハードボイルドの軽薄さからは免れている。


 『ホット・ロック』に登場した不運な泥棒ドートマンダーが新たな代表シリーズになっていく。ユーモア路線への移行だ。彼は天才犯罪プランナー。しょぼくれた中年男で、いつもは百科事典のセールスで小金を稼いでいる。彼のまわりには、口八丁の詐欺師、錠前屋、凄腕の運転手など、異能の犯罪技術者が集まってくる。天才だがアンラッキーというドートマンダーの性格に沿ってストーリーは転がっていく。ギャグまたギャグの連発だ。

 ドートマンダーは、アフリカ某小国の要人に、宝石を盗み出してくれと依頼される。彼はチームを招集し、仕事を成功させる。これが第一段階。盗みはうまくいくが、ツキに見放される。誤算が生じて、再度プランを練り直す。第二段階をクリアすると、また別のところで不運にみまわれる。……という繰り返しで、そのつど作戦は困難度を増していく。ヘリコプターから機関車まで、使えるものは何でも使う。刑務所だろうが警察署だろうが精神病院だろうが、潜入するのに苦労はいらない。作戦はとどまるところを知らずに拡大していき、天才の嘆きは深くなる。

 奇抜なアイデアが、よどみないストーリーさばきでぐいぐいと進められていく。ドートマンダーは失敗を宿命づけられたヒーローだ。彼がドジらなくても、仲間がつまずく。パターンはほぼ決まっているが、決まっているから楽しめる。

 シリーズ第二作『強盗プロフェッショナル』1972(角川文庫)は、トレーラー型の仮設銀行をまるごと盗み出す話。今どきのATMボックスを狙う犯罪に応用できるのではないかとも思わせる。

 第三作『ジミー・ザ・キッド』1974(角川文庫)は、誘拐計画。グループが手本にするのがスタークの悪党パーカー・シリーズ。「役に立つのか」という仲間の問いに、主人公は「多少の脚色は必要だろう」と答える。内輪ネタの使い回しも、あっけらかんとしたものだ。

2023-12-03

4-4 ジョー・ゴアズ『ハメット』

 ジョー・ゴアズ『ハメット』Hammett 1975
Joe Gores(1931-2011)
稲葉明雄訳 角川文庫1985.9 ハヤカワミステリ文庫2009.9



 もう一つの定型、チャンドラー派の趨勢はどう展開していったか。

 六〇年代を通じて、ロス・マクドナルドは私立探偵小説の正統を牽引しつづけたといえる。もう一人のマクドナルド、ジョン・Dは、トラヴィス・マッギーのシリーズで人気を博した。

 その後も、私立探偵タフガイの継承者には事欠かなかった。マーク・サドラー、マイケル・Z・リューイン、ジョゼフ・ハンセン、アーサー・ライアンズ、スティーヴン・グリーンリーフなどの書き手が出た。


 ゴアズは、探偵社所員を含むさまざまの職歴を経て作家になった。シリーズものもあるが、先人作家を主人公にすえた『ハメット』が代表作とみなされる。ハメットの伝記は三冊あるが、語られていない隠れたストーリーが存在する余地はあるだろう。ゴアズは、研究者としてではなく、探偵〈マンハンター〉の目でハメットを追ったと書いている。

 一九二八年、ハメットは専業作家として孤独な生活を送っていた。連載の終わった『赤い収穫』に手直しを加えていた。小説はその事実のなかに虚構を投げ入れる。サンフランシスコ、腐敗した卑しい街。元同僚に助力を乞われるが作家ハメットはそれを断る。旧友は殺され、彼は否応なしに事件に巻きこまれていく。タフガイを描いた作家が、タフガイを演じるために悪の街に歩み出していく。お決まりの話だが、歴史を再現するハードボイルド型都市小説としての先駆性も持った。



2023-12-02

4-4 ジェイムズ・クラムリー『さらば甘き口づけ』

 ジェイムズ・クラムリー『さらば甘き口づけ』The Last Good Kiss 1978
James Crumley(1939-2008)
小泉喜美子 早川書房1980.12 ハヤカワミステリ文庫1988.9


 チャンドラー・スタイルの後継者のなかで、最高傑作を選ぶなら、『さらば甘き口づけ』になるだろう。これは都市小説というより、ビート世代の作家が書く放浪小説に似ている。放浪を描いてチャンドラーの『長いお別れ』1953に通じる感傷の美しさを探り当てた。

 探偵はアル中の伝説的作家の保護を依頼される。彼を見つけることは難しくなかった。探偵もまたアルコールに関しては同じ病いをかかえていた。やがて探偵には、十年前に失踪した娘を捜してくれという仕事が舞いこむ。失踪人捜しも、アル中同士の友情も、探偵のかかえる孤立感と美意識も、この小説を構成する要素に目新しい意匠は一つもない。すでにこれがタフガイ型ハードボイルドの基本的位置だった。


 クラムリーの破格さは放浪者の心情だけだろう。だが古い意匠といえど、これは確実にアメリカ小説の殿堂の一角にゆるぎない場所を要求していたといえる。

 七〇年代の短編を集めた『娼婦たち』1988(早川書房)を読むと、作者の源流はやはりヘミングウェイだったことが了解できる。ミステリ仕立てを採用することによってメインストリーム文学から転身する書き手も多いが、クラムリーは新たな成功者だった。

2023-12-01

4-4 ロバート・B・パーカー『レイチェル・ウォレスを捜せ』

 ロバート・B・パーカー『レイチェル・ウォレスを捜せ』Looking for Rachel Wallace 1980
Robert B. Parker(1932-2010)
菊池光訳 早川書房1981.12 ハヤカワミステリ文庫1988.3


 居並ぶチャンドラー派で最も口達者な伝導者を捜すなら、だれもがパーカーの名をあげるだろう。もともとパーカーはアカデミズムの領域でハードボイルドに関する研究論文を書いていた。私立探偵小説に転身したのは、当初は、大学教員の余技としてだった。

 そこでパーカーは、都市小説の送り手として、チャンドラー、マクドナルドの有力な後継者であることを証明した。

 ボストン在住の探偵スペンサーの美点はそのストレートさにある。タフガイとしての行動を疑わず、しかもそれを弁舌さわやかに演説する。口先だけの男でないことを示す機会も逃さない。格闘術は一流、料理にも一家言を披露し、フェミニズムへの理解も浅くない。だがそれ以上に守るべき者は「タフガイの伝統」なのだ。

 比較的シンプルなプロットの取っつきやすさもあって、長命の安定シリーズとして書き継がれていくことになる。代表作は、初期の『約束の地』1976(ハヤカワミステリ文庫)か『ユダの山羊』1978(ハヤカワミステリ文庫)あたりにしておくのが、妥当だろう。


 『レイチェル・ウォレスを捜せ』は、議論小説としてのシリーズの側面を、最も明確に語っている。評判のフェミニストが身辺の護衛を、タフガイに依頼する。男の価値を攻撃してやまない信条を持つ彼女にとって不本意な選択だった。そして彼女の傭った探偵は「議論するボディガード」だった。作者がこうした設定を選んだ意図は明らかだ。

 ラディカル・フェミニズムをハードボイルド美学の引き立て役にするためだ。探偵は、自分が生まれる時代を間違えた騎士(むしろ恐竜)である、と表明する。いつもの決め科白とはいえ、相手が相手なので、ひときわ気合いが入る。物語の後半に置かれるのはもちろん、彼女の誘拐拉致と救出だ。原始的な暴力にたいして無力であることを露呈し、彼女は動揺する。動揺した「弱い女」(それが本質なのだと作者は無遠慮に断定している)を抱きとめてやるのは騎士の役目だ。

2023-11-30

4-4 ローレンス・サンダーズ『魔性の殺人』

 ローレンス・サンダーズ『魔性の殺人』 The First Deadly Sin 1973
Lawrence Sanders(1920-98)
中上守訳 ハヤカワミステリ文庫 1982.1

 サイコ・キラーを描くミステリは『殺人症候群』に先例をみた。犯人の側から覗かれた異常心理の世界だった。サンダーズは、それを捜査側の視点から描いて、警察小説の枠を大きく拡げた。サイコ・キラーがアメリカの社会現象であるなら、要請されているのは、その現象を細大もらさず物語に描きこむことではないか。

 『魔性の殺人』は以降のサイコ・ミステリの基本型をつくりあげた。未知の狂気の殺人を捉えるために、警察機構を主人公にパノラマ的な社会小説を展開していくこと。警察は未知の恐怖から社会を守る代表機関だ。善悪対立の二元論は確固として打ち立てられている。殺人鬼が出没するニューヨークの一区域は、徹底的な解剖学的視点にさらされることになる。

 作者は、善悪の両サイドに代表人物をすえた。善のほうは、分署署長ディレイニー。組織のトップとしての役割だけでなく、勇猛さと正常さを兼ね備えたヒーローだ。いささか紋切り型におちいるほどに彼の像は潔い。悪のほうは当然、サイコ殺人鬼。彼は物語の最初から姿を見せ、その内面を綿密すぎるほどに描かれる。魔性はゆっくりと彼のなかに目覚める。

 彼がある極点にまで舞いあがりかけるのを確かめた上で、作者は、小説の場面をディレイニーの執務室に移動させる。事件はすでに水面下で進行しつつあるはずなのだが、作者のペンは悠々と主人公のまわりを巡っていく。「奴は狂人だ」と彼が断言するまでに、ページは四分の一以上を費やしている。

 犯行が動き出すと彼の姿は霧のなかに退いていく。今度は組織的な捜査の様相が生き物のように捉えられ、犀利に描き分けられていく。殺人に用いられた凶器を特定するまで費やされたパーツの膨大さを考えるのみでも、この物語のスケールを推し測るのに充分だ。読者は犯人の哀れな内面と行動についても情報を与えられる。そしてそれに数倍する分量で、彼を狩り出すための善の動きを報告される。

 この進行と、善悪を描き分ける配分とが、以降の警察小説型サイコ・ミステリの定式となった。

2023-11-29

4-4 ビル・プロンジーニ&バリー・N・マルツバーグ『裁くのは誰か?』

 ビル・プロンジーニ&バリー・N・マルツバーグ『裁くのは誰か?』Acts of Mercy 1977
Barry N. Malzberg(1939-) Bill Pronzini(1943-)
高木直二訳 創元推理文庫 1992.7

 『裁くのは誰か?』は、いわゆる一つの「大統領ミステリ」だ。

 大統領の身辺で起こる連続殺人。魔手はやがて大統領自身にまでおよぶが、大統領は持てる明敏さを総動員して事件を解決していく……。

 アメリカ国家の大統領は公選によって選ばれる最高権力者だ。民主制度の国是というのか、ミステリとは縁が深い。じっさいにリレー短編の筆を取ったルーズヴェルト第三十二代大統領もいる。

 最近では、ホワイトハウスを題材にしたポリティカル・フィクションに大統領が登場するケースも増えている。またハリウッド映画で大統領役を演じたスターのリストも年ごとに膨大なものとなる。

 大統領本人が愛読ミステリを公言することは、支持率アップのための対策でもあるようだ。レーガンはトム・クランシー。クリントンはもっとマイナーにウォルター・モズリー。現大統領はおそらく、ないだろう……。

 しかし『裁くのは誰か?』のような大統領の登場の仕方はたぶん前例がないだろう。禁じ手はあるのか否か。最高権力者とはいっても、どこかの「国王」と違ってタブーはないのかもしれない。

 少し前にトリッキー・ディックと仇名された第三十七代大統領が不名誉な形で退場している。政治家としての功績はそれなりに評価されるべきだという意見もあった。しかし悪役イメージは常に彼にはついて回った。ウォーターゲイト事件は、今では現代史の欠かせない一項目となっている。事件に関して、ニクソンは嵌められたのだという解釈も一部にはある。『大統領の陰謀』1974(文春文庫)を書いたジャーナリストの一人ボブ・ウッドワードが、データのリークを受けていたという説だ。その論拠は、ウッドワード記者とCIAおよび保守財閥とのコネクションだ(広瀬隆『アメリカの保守本流』集英社新書)。

 仮にそれが事実であったとしても、ニクソンへの同情票は集まらないだろう。自分の上を行くトリックに引っかけられたことで、さらに悪名は高まるかもしれない。

 事実でなかったとしても――。なぜ『裁くのは誰か?』のようなミステリが突如として出現してくるのか、その理由を納得できるに違いない。この小説のサプライズ・エンディングは、大統領職の聖なる椅子という盲点を利用したものだ。見えすいたトリックを隠すための裏技に大統領制度は使われた。これを読むと、カー派の馬鹿騒ぎが完全に過去のものではなく、ささやかな水脈(パズル派の伝統といってもよい)としてひっそりと息づいていることを理解できる。

 作者の一人プロンジーニは、パルプマガジン・コレクターの探偵を主人公にしたB級ハードボイルド・シリーズも書いている。アンソロジストとしても活動し、この作品からは、いかにもうるさ型のマニアぶりが伝わってくる。

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...