スタンリー・エリン「特別料理」The Specialty of the House 1948.5
(Mystery Stories 1956)
Stanley Ellin(1916-86)
『特別料理』田中融二訳 早川書房 異色作家短編集2 1963.1、1974.9、2006.7
ハヤカワミステリ文庫 2015.5
ヤッフェ、
ケメルマン、
フィッシュを「クイーンの定員」とするなら、
エリンはさしずめ非定員かもしれない。異端というより、異色短編、「奇妙な味」と総称された短編。謎解きの論理過程を重んじた端正な短編とは違った、いわくいいがたい世界を切り取ってくる。
エリンには二つの短編集『特別料理』1956と『九時から五時までの男』1964があるが、デビュー作の「特別料理」が特別に高名だ。その印象を短く尽くせば、ある短編の最後の一行がふさわしい。――人に厭われる仕事に就いている男が、その仕事を楽しんでいるかと訊かれて答える、《楽しまずにはいられないじゃないか》と。
この上もなく残酷な人生の断片を切り開いてみせながら、
作家は楽しんでいるというのだ。楽しい仕事だとはとても思えないことを楽しいと言い切る。きわめて反語的に、だ。
「特別料理」の奇妙な味も同じだ。楽しまずにはいられないではないか?
どれもが丹精をこめられた短編だ。凝縮された世界は単独作品として難解なものもあるが、それは、後に長編の書き手になってからのエリンの作品を関連づけてみると了解できる場合が多い。人好きのしない作家とはいえ、再読三読に値する。いや、三読しないと奇妙な味の深みに到達できないこともしばしばだ。
『特別料理』に収められた「パーティの夜」は、ネヴァー・エンディングの強烈な輪に閉じられた話だ。舞台上で
何度もなんども同じ役を演じる役者の、ある夜のパーティの情景。さまざまな読み取りができるにしろ、こんな短い話にすら黒々とあけている人生の深淵を見ないで済ますのは難しい。一種のリドル・ストーリー(結末が冒頭につながる話)なのだが、もっと痛烈な隠し味もある。墜落感を伴った夢幻性は、エリンの一番の怪作
『鏡よ、鏡』1972を思わせる。
『九時から五時までの男』に収められた「ブレッシントン計画」は、老人問題への最終解決を提起したアイデア・ストーリー。同短編集の表題作「九時から五時までの男」は、奇抜な保険金詐欺を描いて不気味な余韻を残す。両者とも、晩年の人騒がせな人種差別小説『闇に踊れ!』1983(創元推理文庫)のゆがんだ情念に直結している。
「特別料理」が暗示するにとどめたセクシャルな主題も、
『鏡よ、鏡』にはほとんど前面に立ち現われてくる。
短編ミステリの醍醐味にもいろいろある。「クイーンの定員」の書き手のものは、謎解きプロセスの結晶を見せてくれる。一口に「奇妙な味」派といっても、マイルドからビターまで幅はある。フレドリック・ブラウンなら、常識をくすぐり、さらりと裏返してみせる程度で済ます。エリンは、常識の隙間に背筋の震えるような風穴をこじ開けてみせる。その筆致は時には威嚇的なほど容赦ない。