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2023-12-23

3-6 ハリー・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」

 ハリー・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」The Nine Mile Walk 1947.4
Harry Kemelman(1908-96)
『九マイルは遠すぎる』永井淳、深町眞理子訳 早川書房HPB1971.9 ハヤカワミステリ文庫1976.7

 短編ミステリの書き手は、比較的、時代の変化をこうむらずに地歩を残している。ここで立ち止まって、彼らのリストを少しまとめておこう。


 短編ミステリこそミステリの真髄であると感じさせる作家は少なくない。ケメルマンもその一人だ。ニッキイ・ウェルト教授を探偵役とする安楽椅子探偵シリーズのスタートは戦後すぐのことだった。純粋論理を駆使することによって、机上の解決を読ませる。八編をまとめて同名の短編集が刊行されるまで、二十年を要している。

 一冊になった本の序文で、作者は、創作法の一端を明かした。ウェルトものが教室で生まれたと言っている。キーになったのは新聞の見出しだった。「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」という文章。これをもとに短編を書くのに十四年かかったと。まことに「遠すぎる九マイル」の道のりだったというべきか。


 作者はこれを作文の授業の風景だったと書いているが、創作クラスの秘密を語っているような雰囲気もある。探偵が語る論理の筋道と、作者が表明する創作への長い道程は、当然のことながら、軌を一にしている。推理するごとく書かねばならない、というのが作者の信条なのだろう。

2023-12-22

3-6 ジェイムズ・ヤッフェ「ママは何でも知っている」

 ジェイムズ・ヤッフェ「ママは何でも知っている」Mom Knows Best 1952 (Mom, The Detective 1968)
James Yaffe(1927-2017)
小尾扶佐訳 早川書房HPB1977.3 ハヤカワミステリ文庫2015.6


 ヤッフェは、十五歳のとき初めて書いた短編が、クイーンの編集するEQMMに当選する、という経歴の持ち主。同じ「クイーンの定員」出身者のケメルマンより二十歳若いが、デビューは先だ。一種の神童だったといえよう。

 ブロンクスのママ・シリーズを書き始めたのも、二十代の前半。こちらも安楽椅子探偵の短編シリーズだ。八編の短編集は日本語版のほうが先に発刊された。

 毎週金曜日に、刑事の息子が妻同伴で食事に来て、事件の話を語る。五十年配の未亡人ママが推理の解決編を与えるというパターンの短編だ。息子は妻の前で子供あつかいされて居心地悪くなり、インテリ妻はママに対抗しようとして逆にやりこめられる。場面はすべて食卓で進行する。


 安楽椅子というより食卓探偵の雰囲気だ。手作り料理の暖かさが推理の背後に流れ、コージー派の味わいも備えている。

 二十年のインターバルをあけて、同じ主人公で長編が書き継がれ、四冊を数えている。

 もう一人のEQMMの入選組は、ロバート・L・フィッシュ。第一作「アスコット・タイ事件」1960から、ホームズもののパロディを始めた。十二編が『シュロック・ホームズの冒険』1966として刊行された。計三十二編あり、三冊の短編集にまとめられている。

2023-12-21

3-6 スタンリー・エリン「特別料理」

 

スタンリー・エリン「特別料理」The Specialty of the House 1948.5
(Mystery Stories 1956)
Stanley Ellin(1916-86)
『特別料理』田中融二訳 早川書房 異色作家短編集2 1963.1、1974.9、2006.7
ハヤカワミステリ文庫 2015.5


 ヤッフェケメルマンフィッシュを「クイーンの定員」とするなら、エリンはさしずめ非定員かもしれない。異端というより、異色短編、「奇妙な味」と総称された短編。謎解きの論理過程を重んじた端正な短編とは違った、いわくいいがたい世界を切り取ってくる。

 エリンには二つの短編集『特別料理』1956と『九時から五時までの男』1964があるが、デビュー作の「特別料理」が特別に高名だ。その印象を短く尽くせば、ある短編の最後の一行がふさわしい。――人に厭われる仕事に就いている男が、その仕事を楽しんでいるかと訊かれて答える、《楽しまずにはいられないじゃないか》と。

 この上もなく残酷な人生の断片を切り開いてみせながら、


作家は楽しんでいるというのだ。楽しい仕事だとはとても思えないことを楽しいと言い切る。きわめて反語的に、だ。「特別料理」の奇妙な味も同じだ。楽しまずにはいられないではないか? 

 どれもが丹精をこめられた短編だ。凝縮された世界は単独作品として難解なものもあるが、それは、後に長編の書き手になってからのエリンの作品を関連づけてみると了解できる場合が多い。人好きのしない作家とはいえ、再読三読に値する。いや、三読しないと奇妙な味の深みに到達できないこともしばしばだ。

 『特別料理』に収められた「パーティの夜」は、ネヴァー・エンディングの強烈な輪に閉じられた話だ。舞台上で


何度もなんども同じ役を演じる役者の、ある夜のパーティの情景。さまざまな読み取りができるにしろ、こんな短い話にすら黒々とあけている人生の深淵を見ないで済ますのは難しい。一種のリドル・ストーリー(結末が冒頭につながる話)なのだが、もっと痛烈な隠し味もある。墜落感を伴った夢幻性は、エリンの一番の怪作『鏡よ、鏡』1972を思わせる。

 『九時から五時までの男』に収められた「ブレッシントン計画」は、老人問題への最終解決を提起したアイデア・ストーリー。同短編集の表題作「九時から五時までの男」は、奇抜な保険金詐欺を描いて不気味な余韻を残す。両者とも、晩年の人騒がせな人種差別小説『闇に踊れ!』1983(創元推理文庫)のゆがんだ情念に直結している。


 「特別料理」が暗示するにとどめたセクシャルな主題も、『鏡よ、鏡』にはほとんど前面に立ち現われてくる。

 短編ミステリの醍醐味にもいろいろある。「クイーンの定員」の書き手のものは、謎解きプロセスの結晶を見せてくれる。一口に「奇妙な味」派といっても、マイルドからビターまで幅はある。フレドリック・ブラウンなら、常識をくすぐり、さらりと裏返してみせる程度で済ます。エリンは、常識の隙間に背筋の震えるような風穴をこじ開けてみせる。その筆致は時には威嚇的なほど容赦ない。

2023-12-20

3-6 ロアルド・ダール『あなたに似た人』

 ロアルド・ダール『あなたに似た人』Someone Like You 1953
Roald Dahl(1916-90)
田村隆一訳 早川書房HPB1957.10 ハヤカワミステリ文庫2000
田口俊樹訳 ハヤカワミステリ文庫 2013.5


 戦後から六〇年代にかけて、「奇妙な味」派の最盛期があったといえよう。他には、チャールズ・ボーモント、デイヴィッド・イーリイ、ジャック・フィニイ、ロバート・ブロックなどの書き手がいた。

 なかでもエリンと双璧をつくるのは、ダールだ。ダールは、イギリス系アメリカ人で、本筋は童話作家だ。彼の短編も大人の童話を思わせるところがある。ダールの短編が時おり垣間見せる薄気味悪さは、「子供の時間」に属しているともいえる。

 『あなたに似た人』には、「南から来た男」をはじめ、ギャンブル小説に独自の輝きがある。賭博は人間性のキャパシティを不快な力で押し拡げる。熱狂にとらわ


れた賭博者の姿を、単純に狂気とは指定できない。一度ダールのペンに捉えられた妄想は狂気を超越した次元に羽ばたいていく。

 《いまでも私には、彼女の手がはっきり見える――その手は》……、という幕切れの鮮やかさ。この閃光のような戦慄は長く残るものだが、気がつくとそれほど不快なショックではないことがわかる。これがダールの童心だ。エリンと比べてみると、はるかに「安全」なのだ。

 ダールとよく似た異色短編のもう一人の書き手に、ジェラルド・カーシュがいる。同じイギリス系、ダールは元飛行士だったが、カーシュは元レスラー、用心棒などと職歴も多彩だ。荒唐無稽なホラ話に相通じるところがある。カーシュには「壜の中の手記」1957などの作品がある。短編集は、日本独自で編まれたものが二冊(晶文社)ある。



『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...