ラベル

ラベル 6-1 生まれながらの殺人者たち の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 6-1 生まれながらの殺人者たち の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023-10-20

6-1 デイヴィッド・リンジー『悪魔が目をとじるまで』

 デイヴィッド・リンジー『悪魔が目をとじるまで』Mercy 1990
David L. Lindsey(1944-)
山本光伸訳 新潮文庫 1991.1


 サイコ・ミステリや映画のなかの異常殺人鬼たちは、八〇年代を過ぎてもしぶとく生き延びた。彼らの紳士録をつくる作業は、九〇年代に入っても手を休めることができない。その領域に潜在する活力が使い果たされてもなお、表層的な現象は持続する。『羊たちの沈黙』以降という問題の立て方をしてもいい。ブームを牽引した作品が作家たちの目標に掲げられ、またジャンルの水準をつくる。さまざまなパターンが繰り返され、かえってこの領域は空前の活況を呈したようにもみえた。

 リンジーはテキサス州ヒューストンを舞台にサイコ・キラーものを書きつづけてきたから、便乗派とは区別されるべきだろう。残虐描写の精緻さではかなり上位にくる。


 『悪魔が目をとじるまで』は作者の集大成的な作品となる。描かれるのは徹底した性倒錯の世界だ。常人の想像を超えるハードSMの現場でサイコ殺人が連続する。タイトルは死体のまぶたが切り取られるところから来ている。作者は犯人あての興味も手堅くそこに仕込んでみせる。異常性愛のハードプレイと殺人の境界はどこにあるのか? 読者は、異常な精神世界を共にする閉鎖集団こそ謎解きミステリの有効な土壌であったことを、思い出すだろう。

 捜査側は、女性刑事とFBI行動科学課の補佐役から成る。ここでは流行の意匠が無難に採用されている。徹底した倒錯世界において、性行為における性差、役割の固定は無意味になる。一般の性行為でならありうる性差別は起こりえないという。単なる猟奇殺人というレベルを超えた思索も展開されるこの作品は、このジャンルの一側面を代表する。


 作者は以降、別の路線に切り替え、グアテマラを舞台にしたポリティカル・サスペンス『狂気の果て』1992(新潮文庫)などがある。


2023-10-19

6-1 ウィリアム・ディール『真実の行方』

 ウィリアム・ディール『真実の行方』Primal Fear 1993
William Diehl(1924-2006)
田村義進訳 福武文庫 1996.9

 リンジーとは逆に、このジャンルには、新規参入組が多い。こぞって『羊たちの沈黙』を超える(と謳った)世紀末的な作品を饗宴していったのだが、おおかたは宣伝倒れに終わった。


 ディールの場合も、『フーリガン』1984(角川書店)、『タイ・ホース』1987(角川文庫)といった冒険アクションがすでにある。『真実の行方』は一転して、法廷ものだ。

 カトリックの聖職者が殺される。容疑者は一人、その有罪は疑いないようにみえた。ここに介入してくる主人公の凄腕弁護士。有罪を無罪に変える法廷の魔術師といわれる男だ。真実の行方が白紙にもどったところでストーリーが進行する。O・J・シンプスン事件のような現実の判例が示したように、アメリカの裁判は真実の黒白をつけるにあたって独特のシステムを採用する。冤罪による極刑があるのだから、論理上ではその逆の、逆転無罪判決が強行されても不思議はないわけだ。有罪の人物が術策を弄して無罪を掠め取ろうとする話も少なくなかった。ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』1993(創元推理文庫)、ジョン・カッツェンバック『理由』1993(講談社文庫)など。後者は人種問題も含んでいる。

 『真実の行方』もこのパターンで、手段を選ばない弁護士が話を主導していく。これだけなら法廷ミステリだが、作者はここにサイコ仕掛けをプラスした。ただし結末には賛否両論があるだろう。

 同一パターンのもっと軽い作品はあるが、タイトル紹介は省略したい。そのアイデアはこうだ。ABCDEと五つの人格が解離した多重人格者がいるとする。Eの人格のときに犯した殺人について、記憶の連続していないAの人格は責任を取ることはできない。被疑者がAの人格として出廷すれば、彼は無罪である。……というアイデアで、気の利いた法廷サイコ・ミステリが一丁上がりになるわけだ。

 人格交換のゲーム性は、その見地からのみみるなら、恰好のミステリの題材といえよう。しかし取扱いには細心の注意が必要だ。

2023-10-17

6-1 ジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』

 ジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』The Bone Collector 1997
Jeffery Deaver(1950-)
池田真紀子訳 文春文庫 1999

 『ボーン・コレクター』はサイコ型の警察小説としては、久しぶりの大ヒット作となった。

 成功の要因は、一に捜査官ヒーローの独創、二に敵役キラーのバランスのいい設定にある。それだけでなく、巧みなストーリー操縦術とあざといばかりのドンデン返しもプラスした。作者は意外性にこだわりすぎる傾向もあるが、この作品ではさほど気にならない。

 ヒーローの独創とは、その肉体にある。手足がまったく動かない。事故の後遺症で四肢麻痺者になった男。これが、元市警の科学捜査専門家にして、科学捜査法とFBIふうのプロファイリング技術を兼ね備えた名探偵だ。首から下で動かせるのは指一本だけ。文字通り頭脳のはたらきだけで存在する「思考機械」だ。頭脳を酷使しすぎたストレスで発作を起こすとき最も人間的になる。

 その手足となって働く助手役には、手堅く女性警官があてられている。

 対する殺人鬼も負けず劣らず、創意工夫のキャラクターだ。犯行現場には必ずメッセージと偽の手掛かりを残していく。ボーン・コレクターという異名は彼の誇りなのだ。

 寝台に寝た「思考機械」に指示されて女性警官が殺人現場を克明に捜査する場面は、物語の一つのハイライトだ。無線でつながっている彼らの会話。彼女は手錠で縛られた被害者の遺体を調べ報告せねばならない。彼は死体の手首を切断して、証拠品として持ち帰るように命令する。こうしたやりとりは『羊たちの沈黙』が描いた捜査コンビの巧妙な発展なのだが、作者は独自のものをつけ加えたといえる。

 最新の科学捜査の成果を取り入れる点でも、作者は貪欲なところをみせた。それは頭脳活動以外の面で決定的なハンデを背負ったヒーローの造型によって、いっそう鮮烈な印象を帯びることになった。シリーズは勢いをもって、『コフィン・ダンサー』2000(文藝春秋)など早くも五作を数えている。

2023-10-16

6-1 グレッグ・アイルズ『神の狩人』

 グレッグ・アイルズ『神の狩人』Mortal Fear 1997
Greg Iles(1960 -)
雨沢泰訳 講談社文庫 1998.8

 『神の狩人』はインターネット殺人鬼を扱って成功したケースだ。失敗の例は数多くあるが、その理由まで詮索しなくてもいいだろう。ヴァーチャルな空間とリアルな殺人のスペースとがいかにして交差するか。そこにはアイデアがそのまま説得力あるストーリーに直結していかない様々な困難がある。

 セックス専門のサイト「EROS」を舞台に出没する殺人鬼。サイト会員は不特定多数に広がっているが、コアなメンバーは秘密クラブのエリートにも似た紐帯で結ばれている。セックスが物語の根幹を占めている点では、『悪魔が目をとじるまで』と双璧だ。

 サイバースペースの匿名コミュニケーション・システムが、殺人という絶対のコミュニケーションによってその匿


名性を破壊される。犯人は犯行の発端からその全身像をさらしている。その像はネット空間のものだから、リアルなレベルでは意味を持たない。サイバースペースを泳ぎ被害者を自在に物色する犯人の姿は奇妙に魅惑的で、戦慄をもたらす。インターネット時代が発明した透明人間。しかもこれは現実の一端なのだ。

 主人公がネット上で犯人との会話を試みる長いシーンが出色だ。彼は女性人格に仮想してチャットを挑んでいく。犯人は第一声を放つ。「きみの会話にはパターン化したミスがあるね。音声認識ユニットを使っているのか?」と。そう語るからといって、彼が男である証拠にはならない。会話は、両者の頭脳戦・心理戦であるとともに、サイバー・コミュニケーションのすべてがそうであるように、仮装ゲームでもある。三次元ではないが、かといって四次元まではいかない。三・五次元ほどの不徹底な、しかし未知の空間で展開するゲーム。

 『神の狩人』は新たなサイコ空間を小説にもたらせた。


2023-10-15

6-1 トマス・ハリス『ハンニバル』

 トマス・ハリス『ハンニバル』Hannibal 1999
Thomas Harris(1940-)
高見浩訳 新潮文庫 2000.4

 しかし九十〇年代全般にわたって、サイコ・ミステリに底流したトピックは「トマス・ハリスの沈黙」だった。待たれたのは人喰いレクター博士の復活だ。この点、理由は単純なヒーローへの待望の他にもう一面ある。「怪物と向かい合う者は、その深淵を覗き、同時に深淵から覗きこまれるのだ」というニーチェの言葉は、FBIプロファイラーによって別の照明を当てられた。怪物とはサイコ・キラーだ。ハリスの沈黙は、作家が「深淵から覗きこまれ」そこに招かれてしま

ったことを意味するのではないか。沈黙は怪物との争闘からの敗北を示すのではないか。レクター第三作が待たれた裏には、こうした懸念も多くあったと思える。

 七年の後、レクターは外国での逃亡生活のさなかに捕捉される。彼に不具にされた億万長者が懸賞金をかけていたのだ。FBI組織のなかで孤立を深めるクラリス捜査官もこの追跡劇に関わってくる。物語の多くの部分は、英雄が追いつめられ逆襲に出る冒険アクションに費やされる。残りは、英雄譚の念入りな注釈だ。

 ハリスは自らがきりひらいたサイコ・ミステリという領域の幕引きも兼任したというわけだ。彼は端的にいう。もはやサイコ・ミステリは成立しない、と。それは、作家の


沈黙によってではなく、別ジャンルの作品を書くことによって証明された。その事実は人を安堵させるものがある。ともかくも「怪物との争闘」にはっきりした一区切りが、作家の側から与えられたわけだから。

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...