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ラベル 6-3 歴史をさかのぼる の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2023-10-12

6-3 デイヴィッド・ハンドラー『女優志願』

 デイヴィッド・ハンドラー『女優志願』The Boy Who Never Grew Up 1991
David Handler(1952-)
北沢あかね訳 講談社文庫


 とはいえ、コリンズやエルロイの試行は例外とみなしておくほうがいいだろう。歴史は、とくにミステリ作家にとっては、もう少し自在なキャンパスとして受け止められているはずだ。イマジネーションを投げこむ場所が煉獄であったりすれば、無事にもどってくることが難しいからだ。

 ノスタルジアは重要な標識だ。安全か否かを保証してくれるという意味でも。

 ジョン・ダニングが古書マニアの警官を主人公に出世作『死の蔵書』1992を書いたときも、稀覯本の世界にまつわる堅固な過去イメージを利用することができた。

 ウォルター・モズリーは、彼の人種的テーマと創作を調停するために黒人私立探偵の主人公の物語を五十年代の近辺から始めた。『ブルー・ドレスの女』1990から始まるシリーズに過剰なところは何もない。かえって、そうした設定はモズリーが人種問題の現在を慎重に回避するのに役立っている。

 ジェイムズ・サリスも黒人私立探偵のシリーズを問うているが、成立はもう少しややこしい。『コオロギの眼』1997などの作品は六〇年代の経験を再考する欲求にささえられているようだ。

 ゴーストライター、ホーギーを主人公とするハンドラーのシリーズも基調は回顧趣味にある。ホーギーは若くして「天才作家」ともてはやされて成功した。しかし才能は一発屋で終わり、もっぱらゴーストライターで糊口をしのぐことになる。彼に代作を依頼してくるのは、不思議と彼に境遇の似た人物ばかり。かつては成功したが今は尾羽打ち枯らしたひがみっぽい性格に変わっている。その人物がトラブルを抱えていて、代作仕事そっちのけで事件が進行していく、というのが常套の進行だ。

 『笑いながら死んだ男』1988では元人気コメディアン。『真夜中のミュージシャン』1989ではロックンロールのかつてのスーパースター。『フィッツジェラルドをめざした男』1991ではホーギー自身とよく似た才能の枯渇した作家。それぞれ騒動の種になる人物は似たり寄ったりだ。題材から予想されるような暗く湿りがちなところはまったくない。主人公は挫折について、お気楽なポーズを取るのみだ。得意のへらず口には少しも自虐が混じらない。何よりノスタルジアが救いになっている。扱われるのは溯った時代背景だが、ショービジネス界や音楽界や文壇のインサイドストーリーもおまけについてくる。

 『猫と針金』1991、『女優志願』『自分を消した男』1995、『傷心』1996(以上、すべて講談社文庫)と、映画界の内幕ものが多くなっていく。成功と挫折がおりなす人生の明かるみと闇。代作者を頼む者たちのほうがむしろゴーストライターのゴーストにも映ってくるシリーズの持ち味はなかなか得がたい。斜めに構えたノスタルジック・ハードボイルドにも読める。


2023-10-11

6-3 フェイ・ケラーマン『慈悲のこころ』


 フェイ・ケラーマン『慈悲のこころ』The Quality of Mercy 1989
Faye Kellerman(1952-)
小梨直訳 1998.6 創元推理文庫

 『慈悲のこころ』は十六世紀末、ペストの蔓延するロンドンを舞台にした冒険活劇だ。主人公は若き日のシェイクスピア。歴史ミステリとはいっても、時代絵巻にかかる力点が強い。

 ケラーマンは、『水の戒律』1986に始まる、ロサンジェルスを舞台にした警察小説シリーズでも知られている。このシリーズのもう一人の主役はユダヤ人コミュニティの女性教師だ。シリーズ人物にマイノリティの性格が加わるの


は新しい傾向だが、その流れの一つ。

 なお、ケラーマンはロス・マグドナルド=マーガレット・ミラーに次ぐ夫婦ミステリ作家。夫ジョナサンには小児精神科医を主人公にしたシリーズがある。


2023-10-10

6-3 ウィリアム・ヒョーツバーグ『ポーをめぐる殺人』

 ウィリアム・ヒョーツバーグ『ポーをめぐる殺人』Nevermore 1994
William Hjortsberg(1941-2017)
三川基好訳 扶桑社ミステリー文庫 1998.12

 探偵役をもう少しミステリに親しい人物に設定する試みも、もちろん見つけられる。ホームズ譚の生みの親コナン・ドイルはなかでも定番的キャラクターといえるだろう。ドイルは人気ミステリ作家としてのみでなく、オカルト心酔者としても知られる。心霊論者としては不人気だが、こちらのほうが歴史ミステリに登場させるには都合がいい。

 脱出王の奇術師フーディーニとの友情。それがフーディーニの心霊術批判によって亀裂をみてしまったことも、利用しやすいエピソードだ。

 ドイル&フーディーニ・ミステリの一つは、ウォルター・サタスウェイト『名探偵登場』1995だ。奇術師、霊媒、幽霊、心理学者、護衛などが入り乱れる降霊会で起こる密室殺人と、往年のロースンを思い出させるにぎやかな道具立てで迫る。

 『ポーをめぐる殺人』のほうも趣向の凝り方では負けていない。二〇年代のニューヨーク、ポーの小説を見立てにした連続殺人が起こる。たとえば「落とし穴と振り子」……。探偵役はドイルだが、彼のもとにポーが霊魂のかたちで降り立つ。たんに夢の枕元に立つ人物にとどまらない。ポーは「おれこそ実在であって、きみドイルのほうが未来から迷いこんできた亡霊なのだ」などと、深遠なことをのたまう。ありうる設定だと思わせるところが秀逸だ。

 ポーの決め科白は、いうまでもなく「大鴉」の詩句に封じこめられた「ネヴァーモア」の一言だ。もはやない。これを作者は小説の原タイトルに使ったのだった。

 さらにはポーを主人公にした一作がある。スティーヴン・マーロウ『幻夢 エドガー・ポー最後の五日間』1995(徳間文庫)だ。ポーが巷間に横死を遂げる「死の直前」を想像力的に復元してみせた。正確にいうと、主人公はポーではなく、瀕死の状態で幻夢をつむぎ出すポーの幻覚のほうだ。行き倒れになって絶命したことは有名な事実、死の前の五日間は謎のままである。物語はその期間に特別の行動があったとは示さない。その期間にポーのイマジネーションがどれだけ飛翔したかを語っていく。まさにグロテスクとアラベスクのファンタジー。幻想文学のマスターを巧みに利用した、じつに味わい深い幻想小説だ。


2023-10-09

ルイス・シャイナー『グリンプス』

 ルイス・シャイナー『グリンプス』Glimpses 1993
Lewis Shiner(1950-)
小川隆訳 創元SF文庫 1997.12
    ちくま文庫 2014.1


 六〇年代はロック世代にとっては、まぎれもなく「偉大な文化革命」が実現した栄光の日々でありつづける。しかしこういった手放しの情感は、ふつうミステリには流入しにくい。無理にこじ入れても珍品ができあがってしまう。先にあげたサリス作品はかなり屈折にみちて善戦しているほうだ。これは一つに、六〇年代への回顧が、ある特殊な層をのぞいては、身勝手な自己顕示以上のものになりえないからだ。

 『グリンプス』は、SFファンタジーの形で時代への愛惜を歌い上げた数少ない成功例だ。伝説の時代はそれにふさわしい幻を持っているものだ。録音された事実は確認されているけれど音源が見つからない幻のセッション。ステレオ修理屋の主人公レイがこの幻を耳にするところから物


語は始まる。過去を再現して、あの時代の栄光をふたたび幻視しようとする空しい願望。誰もが遠くまでトリップした。トリップしすぎて帰ってこなかった者はいるが、それこそが栄光だった。

 彼は、ジミ・ヘンドリックスが一九七〇年に死なずに済む工作にかりたてられる。死と瞑想と精神拡張、世界を一変させたロックという幻。ジミ・ヘンの「蘇生」は成功するが、かえって彼は多元宇宙の迷路にはまりこんでしまう。死者の送りつづけるメッセージは変更しようがない。


2023-10-08

6-3 シオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』

 シオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』Flicker 1991
Theodore Roszak(1933-2011)
田中靖訳 文藝春秋 1998.6
    文春文庫 1999.12

 六〇年世代にとって、このゴシック・ミステリの作者の名前は驚きだった。ローザックはカウンター・カルチャーの理論家として記憶されていたからだ。

 それはともあれ、驚きは、幾重もの複雑な仕掛けで送りだされたこの小説の迷宮に向かった。すぐれた映画評論はしばしば常軌を逸しているし、或る映像作家について書かれた書物がその作家の作品自体よりはるかに豊饒で面白い、という皮肉もありえる。この小説の半分は、そうした破格の映画評論の質を備えている。埋もれた映像の天才を発見していく物語は、映像作品から自立して輝く批評者の眼のきらめきに満ちている。虚実入り乱れる映画論の魔力を目の当りにすると、ほとんど無尽蔵な創作材料が二十世紀の映画史には埋められているのではないかという錯覚にすらおちいる。

 フィルムのジャングル探索がこの小説の半面だとすれば、もう半面は異端教団の謎を追うカルト・ミステリだ。芸術家小説には満足できない人向きの受け皿もきちんと備わっている。




2023-10-07

6-3 ダン・シモンズ『諜報指揮官ヘミングウェイ』

 ダン・シモンズ『諜報指揮官ヘミングウェイ』The Crook Factory 1999
Dan Simmons(1948-)
小林宏明訳 扶桑社ミステリー文庫  2002

 『諜報指揮官ヘミングウェイ』は実在の人物を主人公にしたイフ・ノベルの趣向だ。第二次大戦秘話のポリティカル・フィクション。冒険スパイ小説だ。一九四二年、ハバナに住み、私設民間防衛組織を動かしていたヘミングウェイを主人公とする。物語の九五パーセントは真実だと作者は保証している。文豪の伝記に《ルーカスと呼ばれていた寡黙な男は、その名前以外、だれも彼の出自を知らなかった》とある一行が虚構の入口だ。小説は、この男に、FBI特別捜査官の身分を与え、語り手の役を振って進行していく。

 この時期に関する多くの伝記の記述は、あてにならないと作者はいう。ヘミングウェイは、対ドイツの諜報組織をつくり、ハバナに潜入しているドイツ工作員や近海に出没するUボートの動きを監視していた。果たしてそれ以上の


行動はあったのか、なかったのか。

 登場する実在人物は、イングリッド・バーグマン、マリーネ・ディートリッヒ、ゲーリー・クーパーなどのスターから、若き日のジョン・F・ケネディ、イアン・フレミングなど多彩だ。

 作家は、スペイン義勇軍への参加体験を、ベストセラー小説『誰がために鐘は鳴る』として問うた後だった。ヘミングウエイの旺盛な作家的ヒロイズムと行動派としての飽くなき野心は、キューバという局地的情勢にあっていかなる謀略に包囲されていたのか。あるいは、されていなかったのか。

 この小説は、たんに歴史秘話への好奇心をかきたてるのみでなく、ヘミングウェイ文学にたいする限りない愛惜によって裏打ちされている。《一九六二年七月二日、アイダホ州の新居で、彼はついに決行した》という書き出しの一行に、その点は明らかだ。彼を猟銃自殺にまで追いつめたもの。それが彼の個人性に帰されるのではなく、アメリカ作家を固有に襲う不可避の運命であったことを、作者はよく理解していた。

 成功と名声の絶頂においてすら作家を恐怖させた不安。それは一九四二年のハバナにおいてもすでに明瞭に形をなしていた。

 外界と他人へのとめどない猜疑心、タフガイの仮面のうちに隠された臆病さ。そういった個人的資質が彼を追いつめたのではない。彼はアメリカの作家をとらえる超個人的な運命に殉じたのだ。とシモンズは物語の全体をこめて表明している。

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...