デイヴィッド・ハンドラー『女優志願』The Boy Who Never Grew Up 1991
David Handler(1952-)
北沢あかね訳 講談社文庫
ノスタルジアは重要な標識だ。安全か否かを保証してくれるという意味でも。
ジョン・ダニングが古書マニアの警官を主人公に出世作『死の蔵書』1992を書いたときも、稀覯本の世界にまつわる堅固な過去イメージを利用することができた。
ウォルター・モズリーは、彼の人種的テーマと創作を調停するために黒人私立探偵の主人公の物語を五十年代の近辺から始めた。『ブルー・ドレスの女』1990から始まるシリーズに過剰なところは何もない。かえって、そうした設定はモズリーが人種問題の現在を慎重に回避するのに役立っている。
ジェイムズ・サリスも黒人私立探偵のシリーズを問うているが、成立はもう少しややこしい。『コオロギの眼』1997などの作品は六〇年代の経験を再考する欲求にささえられているようだ。
ゴーストライター、ホーギーを主人公とするハンドラーのシリーズも基調は回顧趣味にある。ホーギーは若くして「天才作家」ともてはやされて成功した。しかし才能は一発屋で終わり、もっぱらゴーストライターで糊口をしのぐことになる。彼に代作を依頼してくるのは、不思議と彼に境遇の似た人物ばかり。かつては成功したが今は尾羽打ち枯らしたひがみっぽい性格に変わっている。その人物がトラブルを抱えていて、代作仕事そっちのけで事件が進行していく、というのが常套の進行だ。
『笑いながら死んだ男』1988では元人気コメディアン。『真夜中のミュージシャン』1989ではロックンロールのかつてのスーパースター。『フィッツジェラルドをめざした男』1991ではホーギー自身とよく似た才能の枯渇した作家。それぞれ騒動の種になる人物は似たり寄ったりだ。題材から予想されるような暗く湿りがちなところはまったくない。主人公は挫折について、お気楽なポーズを取るのみだ。得意のへらず口には少しも自虐が混じらない。何よりノスタルジアが救いになっている。扱われるのは溯った時代背景だが、ショービジネス界や音楽界や文壇のインサイドストーリーもおまけについてくる。
『猫と針金』1991、『女優志願』、『自分を消した男』1995、『傷心』1996(以上、すべて講談社文庫)と、映画界の内幕ものが多くなっていく。成功と挫折がおりなす人生の明かるみと闇。代作者を頼む者たちのほうがむしろゴーストライターのゴーストにも映ってくるシリーズの持ち味はなかなか得がたい。斜めに構えたノスタルジック・ハードボイルドにも読める。