ジェイムズ・エルロイ『ブラック・ダリア』Black Dahlia 1987
James Ellroy(1948-)
吉野美恵子訳 文藝春秋1990.1 文春文庫1994.3
タフガイ小説は消滅の道をたどるばかりだったのか。そんなことはない。本流が絶えなかった点は確認しておくべきだ。エルロイをその本流の牽引者とみなしても、どこからも反論はないはずだ。ただそれも、私立探偵というタイプではなく、組織の中で孤立する「はぐれ刑事」を描くことによって守られた。孤立の様相は共通しても彼はあくまで警官なのだった。
エルロイをあつかうと他のテーマも付随して流れこんでこざるをえない。レイシズムとセクシズム、そして政治的不公正による過去の歴史の「修正」。一口にいえば白人種馬男による三位一体の逆襲だ。強いアメリカ復活の一方に、ヴェトナム神経症の蔓延、サイコ・キラーの跳梁跋扈、女タフガイへの支持などがあった。彼の存在基盤はそれなりに了解がつく。そのイデオロギー十字軍の使命感は、スピレーンなどよりはるかに強固で骨がらみのものだ。そこに立ち止まるとかなり厄介なので、いったんは保留にしよう。エルロイの原風景は第二作『秘密捜査』1982に明らかだ。ブラック・ダリア事件。一九四七年、ハリウッド、未解決の娼婦殺人。被害者は全裸で胴体を両断され、内臓を抜かれた。犯人は見つかっていない。残虐な死体写真は、むしろマネキン人形を思わせる無機質を伝えてくる。
母を喪い、孤児としてホームレスになった作者の原体験が、ブラック・ダリア事件とその時代背景への執拗なこだわりとして、エルロイ作品に刻印されてくる。
『ブラック・ダリア』は、ブラック・ダリア事件を正面にすえた警察小説だ。未解決の事件は小説のなかで解決をみる。事件の真相に達した刑事は、タブーに触れたことによって、組織を追われる。
エルロイが示したものはイデオロギーであるよりも、司法組織に身を置く白人の圧倒的な情念だ。彼は法の番人ではない。正義の側にいるという正当性はとうに彼から剥奪されている。彼は自分の主人であろうとするだけだ。エルロイの読者は、それこそがタフガイの真正な現状であることを知る。感動するか反吐を吐きたくなるか、反応は分かれる。暗黒〈ノワール〉は彼の泳ぎ出してきた源流であり、行き着く沸騰点だ。多くのアメリカ作家が燃え尽きていった彼方と別物であるわけがない。
エルロイは以降、犯罪小説の形をとったロサンジェルス年代記に移る。歴史「修正」の嗜好はますます露骨さを増していった。