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2023-11-23

4-7 トマス・ブロック『超音速漂流』

 トマス・ブロック『超音速漂流』Mayday 1979
Thomas Block(1945-)
村上博基訳 文藝春秋 1982.6 文春文庫 1984.1
改訂版(ネルソン・デミル共著 村上博基訳 文春文庫 2001.12

 このページまで扱ってきた作品はおおむね、過去に属している。P・K・ディックを奇跡的な例外として。

 七〇年代といえば、もう自明に回顧の対象だ。この項目であげる三編は、その時代よりもむしろ現在に作品的意味が延長しているとみなしうる。境界にある。充分には過去に退行していない産物だ。


 『超音速漂流』は航空パニック・サスペンスの古典といわれる。ネルソン・デミルが共作者としてクレジットされ改定新版1998も出た。旧版がブロックの単独名義だったのは、二人が友人として協力し合ったこと、ブロックが現職パイロット作家だったこと、デミルがあまり有名になっていなかったことなどが理由だろう。

 ジャンボ・ジェット旅客機が、テスト中のミサイル誤射を受け、機長は死亡、無線機も使用不能という危機におちいる。生存者は漂流する機をなんとか着陸にもっていこうとするが、失策を隠すために軍は非常手段に出ようとして……。パニックが機体の内と外とから来るという絶体絶命の状況を描く。


 七〇年代には旅客機のハイジャック事件が急増した。「金曜日はハイジャックの日」といわれるほどに頻発した。ハイジャックの時代が作品にまで反映していったのも当然だ。現実が航空パニックものというジャンルを産み落とした。ジャンボ機消失の謎を描いたトニー・ケンリック『スカイジャック』1972(角川文庫)、同じくジャンボ機の空中からのハイジャックを描いたルシアン・ネイハム『シャドー81』1975(新潮文庫)といった傑作がある。それらは『超音速漂流』に抜かれた。

 新しいところではジョン・J・ナンス(やはりパイロット作家)の『メデューサの嵐』1997(新潮文庫)があるが、『超音速漂流』の上を行く作品はまだ現われない。

2023-11-22

4-7 トレヴェニアン『シブミ』

 トレヴェニアン『シブミ』Shibumi 1979
Trevanian (1931-2005)
菊池光訳 ハヤカワ文庫 2011

 トレヴェニアンは、アメリカの物質主義とタフガイ指向への反対者として、自らを位置づけた。彼の描く国際謀略小説は知的なパロディのように読める。『アイガー・サンクション』1972(河出文庫)の主人公は大学教授で登山家。名画コレクションの資金作りのために暗殺を請け負う。こうした設定によって、作者は007シリーズなどに冷笑を浴びせているのだろう。

 『シブミ』では冷笑ぶりは変わらないが、主人公の造型はいっそう複雑さを増している。ニコライ・ヘルという男。孤高のテロリストが対決するのはCIAをも包括した「マザー・カンパニイ」と呼ばれる巨大謀略組織。アラブ過激派とユダヤ人報復グループの暗闘という、それらしい導入部はつくられているが、全体が冗談話のように感じられなくもない。


 タイトルの『シブミ』は(作者の理解するところの)日本的精神主義から取られている。いかにも、アメリカの物質主義に反対して物質主義のエッセンスのようなスパイ小説のパロディを書いてみせた作家らしい所業だ。武士道の対極に「渋み」があるという。章題も囲碁の用語から流用され、作者は、物語の進行そのものを囲碁の対局に擬している。主人公の造型をみると、こうした凝りようがたんに奇をてらった高踏趣味でないことがわかる。ニコライ・ヘルは無国籍の断片から成り立っているような男だ。第一章「布石」に登場する彼は、スペインのバスク地方独立主義者の仲間とともにいる。そして物語は、ニコライの出生を追って、数十年前の上海に飛ぶ。彼は、亡命ロシア貴族とドイツ人の血を引き、占領日本軍の将軍に育てられる。軍

国主義のふところにあって学び、反武士道の精髄を身につける。そして戦時下の日本に移り、敗戦をくぐり、占領軍の下部職員となる。そこで恩人である将軍と再会する。将軍はA級戦犯として連行されてきた。この不幸な再会が一人のテロリストを誕生させたのだった。

 ばらばらの要素を継ぎ足して構成されたような男。シブミの精神で自己を律する。これがアンチ・ヒーロー性の実例だ。謀略小説の主人公に与えられた伝記的事実としては不必要に長く、重たい。

 作者には、他に、警察小説『夢果つる街』1976、サイコ小説『バスク、真夏の死』1983(ともに、角川文庫)がある。

2023-11-21

4-7 ロバート・ラドラム『暗殺者』

 ロバート・ラドラム『暗殺者』The Bourne Identity 1980
Robert Ludlum(1927-2001)
山本光伸訳 新潮文庫 1983.12

 ラドラムは彼一流の謀略史観にのっとって多くの作品を産出したが、だいたいパターンは一つだといってもよい。陰謀は世界を二分する。陰謀は不滅である。陰謀は米ソ二大国の冷戦よりはるか昔から存在する。

 トレヴェニアンがからかいの対象にした物語の外枠を、ラドラムは大真面目に生産しつづけた。皮肉なことに、覆面作家トレヴェニアンの正体が話題になったとき、ラドラムの名前もあがったという。

 第一作『スカーラッチ家の遺産』1971(角川文庫)は、第二次大戦下から始まる。ナチスの陰謀は過去のものではなくて、米ソの対立構造よりもはるかに根が深く広範に生き延びている。『マタレーズ暗殺集団〈サークル〉』1979(角川文庫)での狂信的テロリスト集団は、シチリア島の血の復讐に起源を持つ。世界のいたるところにネットワークをはりめぐらせる結社に対抗して、米ソ諜報機関ナンバーワンのエージェントが協力する話だ。

 ラドラムはおおむね、謀略アクションのワンパターンの供給者として七〇年代を通過した。このタイプの書き手の多くがそうであるように、語り口には動物的な精気があった。『暗殺者』はその頂点に位置する。「ボーンのアイデンティティ」という原タイトル。

 暗殺者ボーンは自己を喪って物語に現われ出てくる。任務に失敗し、重傷を負い、記憶を喪った。身につけた技能や暴力や悪辣な生存本能は個体の中に残っている。

 自分は何者なのか。

 ようやく解きほぐした断片はまた新たな謎を呼ぶ手がかりにすぎない。進めば進むほど迷路は深くなる。記憶を喪う前に彼がかかわっていたミッションが姿を現わす。。それに従って彼は伝説上のテロリストの役を演じていた。さらにヴェトナムで極秘の暗殺部隊に参加し、ある男を処刑して、彼の名前を借りて名乗ってもいた。

 『暗殺者』のアイデンティティは、トレヴェニアンの主人公の「布石」の逆をいっている。彼は確固たる自己の構成要素など持っていない。彼が出会う己れの断片は謀略作戦のために用意された贋の仮面ばかりだ。記憶を回復すればするほど、他人に化けていた自分の顔を見つけなければならない。ラドラムのボーンがパロディに分裂してしまわないのは、作者がそこまで一貫して描いてきた陰謀世界の強固さによる。現実よりも現実らしく張り巡らされた陰謀構図が、主人公の実在を裏面から支えていたということだ。

 暗殺者の内面は個人的にはほとんど無だ。彼の本質は陰謀のパーツとなる道具にすぎないからだ。陰謀の物語に実体的な主人公はいらない。ラドラムのおおかたの小説がそうであるように、陰謀こそがおどろおどろしい絶対の神なのだ。他の人物など出る幕がない。トレヴェニアンは逆をついて、ヒーローに実体を与えた。

 ラドラムはその実体を踏まえて再度の逆転を試みた。二重三重の迷路を仮設した。ここからようやく、旧世界の単純な様式ではなく、現代世界の複雑さに耐えうるヒーローが誕生してきたと認められる。


『アメリカを読むミステリ100冊』目次

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