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2024-04-08

2-3 アール・スタンリー・ガードナー『ビロードの爪』

アール・スタンリー・ガードナー『ビロードの爪』The Case of the Velvet Claws 1932

E・S・ガードナー Erle Stanley Gardner(1889-1970)
 別名 A・A・フェア A.A. Fair など 

砧一郎訳 早川書房HPB 1954
田中西二郎訳 世界推理名作全集 第10 中央公論社 1960
小西宏訳 創元推理文庫 1961、1996.10
山下諭一訳 世界推理小説大系 第23 東都書房 1963
宇野利泰訳 新潮文庫 1964
能島武文訳 角川文庫 1965

 ハメットの肖像画はごく暗いものだが、後継者たちは暗鬱さからは免れている。最も成功した書き手はガードナーだろう。長編第一作『ビロードの爪』は直接には『マルタの鷹』を下敷きにしているが、『影なき男』を先取りした設定も取られている。探偵役と女性秘書との協力関係だ。

 『ビロードの爪』によって、ペリイ・メイスンの長命人気シリーズはスタートした。ガードナーのヒーローは彼のまわりにチームを形成した。主役はメイスン弁護士だが、秘書デラ・ストリートはワトスン役を兼ねるし、協力者ポール・ドレイクもたんなる助手にとどまらない。チームのパートナーは同等の重みだ。シリーズは八十二作の記録をつくった。

 成功の側面ばかりが照らされがちだが、ガードナーには

長編デビューまで十年ほどのパルプ・ライター時代がある。キャリアはハメットと変わらない。弁護士業のかたわら「ブラックマスク」などのパルプ雑誌に、十以上の筆名でおびただしい短編を書いてきた。速筆多作はそこでも発揮され、長編デビュー直前の三二年の発表量は短編六十作を数える。

 アメリカン・ヒーローの探偵役に弁護士をすえたことによって、彼の栄光のときが始まった。

 メイスン物語はおおむね、依頼人が主人公を訪れて、奇妙な事件をもちかけるところから始まる。導入には一定のパターンがあり、しかも冒頭の数ページで読者をとらえて離さない。

 『ビロードの爪』では、スキャンダルもみ消しを頼みにきた女がトラブルにまきこんでくる。『幸運な足の娘』1934では、脚線美コンテストに優勝した娘が悪質な詐欺に引っかかって行方を絶つ。『吠える犬』1934では、遺言状の件で相談に訪れた男が隣家の吠える犬の苦情を訴える。『管理人の飼猫』1935では、百万長者の別荘管理人が遺産相続した孫から飼い猫を捨てろと強要される。

 巧妙な導入から、やがて事件の複雑な全貌が見えてくるという展開は、ホームズ物語の人気にも共通する要素だった。奇抜な見せかけから、事件はたいてい殺人に発展する。描写はアクションと会話を主体にして、淀みない。メイスンは一度はピンチにおちいりながら、終盤には、本来のフィールドである法廷で派手な勝利をおさめる。

 ガードナーは一種の小説工房をつくった。口述筆記でスピーディに作品を仕上げる。第一作は、四、五日で書き上げたという。以降、同一パターンの規格品を一定のサイクルで供給するというスタイルを確立した。他に、A・A・フェア名義のバーサ・ラムとドナルド・クールのコンビ・シリーズ二十九冊と、主人公を検事に逆転したD・Aシリーズ九冊がある。

 機会均等と正義。アメリカ民主制の光の部分をメイスン弁護士は代表する。アメリカの公正な法と正義とは、彼の行動、スタンドプレイ、弁舌によって示される。大不況の時代を背景に、メイスン物語はアメリカの新たな伝統つくりに寄与した。


2-3 レックス・スタウト『料理長が多すぎる』


レックス・スタウト『料理長が多すぎる』Too Many Cooks 1938
レックス・スタウト Rex Stout(1886-1975)
『十五人の名料理長』平井イサク訳 別冊宝石56 1956.8
『料理長が多すぎる』平井イサク訳 ハヤカワミステリ文庫 1976.10


 ガードナーと同時期に同年代で出立して、別種のアメリカ式名探偵を創造したのがスタウトだ。

 ガードナーのアベレージには及ばないものの、長短合わせて四十冊を超えるネロ・ウルフのシリーズは、旺盛な筆力と高い人気のたまものだ。

 数ある名探偵のうちでも、ウルフは無類だ。探偵能力によってよりもむしろ装飾的キャラクター要素によって記憶される。美食、体重過多、蘭の愛好。ウルフの解決した名推理は忘れてしまっても、彼の厳格に守られる快楽主義的日常生活は忘れられない。ウルフはものぐさで高慢な人物だが、そのほとんどは太りすぎて動くのが大儀だからだ。見た目の滑稽さによって、このヒーローは愛される。


 ワトスン役の語り手たるアーチー・グッドウィンは、ウルフの非行動のいっさいを代行する。タフガイ的人物が語り手となる奇人探偵の謎解きもの。ウルフ・シリーズのセールス・ポイントはそこにある。彼のチームには、他に、料理人フリッツ、園芸係ホルストマンと、本筋とは関係なさそうな専門家が加えられるところが特徴だ。

 美食ミステリはヴァン・ダインに始まる。イギリスにしろアメリカにしろ、相対的に料理文化が貧しい社会にあって、ヴァン・ダインが先覚者になりえたのは頼もしいことだった。ファイロ・ヴァンスの料理帳は、味覚の点においてはフランスびいきになってしまった気まぐれな男の記念碑だ。だが先覚者は忘れ去られている。美食探偵の名誉は、今日では、すっかりスタウトに作品に移行している。

 シリーズ第五作『料理長が多すぎる』は、その傾向を代表する。

 冒頭でアーチーは、摩天楼ビルの屋上にピラミッドを運びあげたような気分になっている、と語り始める。巨漢ウルフを新型列車の車内の座席に押しこんだところだった。外出すること自体が事件になる探偵の旅は、十四時間にわたる列車旅行。十五人のグランド・シェフが一同に会して腕を競う晩餐会にゲストとして招かれたのだ。

 名コックばかりが集まる保養地が、外界から遮断された一種のクローズド・プレイスをていするという趣向。そこで、九種類の香辛料をブレンドした精妙な味のソースの味きき競技が催される。一つずつスパイスを省いた九種を用意して、省かれたスパイスを当てる。その競技の最中に殺人が起こる。動機はいくらでも見つけられた。ある料理の秘法レシピをめぐって殺意が芽生えるような特殊世界なのだ。

 どんな領域にしろ、専門家が集まるサークルは、部外者にとっては驚異に、いっそういえば狂気にあふれている。外界からは理解できないし、また外界を理解する気もない。ミステリの題材としては絶好のシチュエーションをスタウトは見事に生かした。

 美食ミステリはたしかに有力なサブジャンルなのだが、印象深い名作は意外と少ない。美食はミステリにおいてメイン・ディッシュにしないほうが無難、ということだろうか。ただし短編は別だろう。ピーター・ヘイニング編のアンソロジー『ディナーで殺人を』1991には、メニューを一望できる作品が並んだ。スタウト作品では、「ポイズン・ア・ラ・カルト」が収録されている。


2-3 アーヴィング・ストーン『クラレンス・ダロウは弁護する』

 アーヴィング・ストーン『クラレンス・ダロウは弁護する』(『アメリカは有罪だ -アメリカの暗黒と格闘した弁護士ダロウの生涯』) Clarence Darrow For the Defense 1941
アーヴィング・ストーン Irving Stone(1903-89)

 ペリイ・メイスン人気を側面から証明するような伝記が一冊ある。実在した正義の弁護士を描いて興味深い。ストーンが著した伝記は数多く、その対象も、ジャック・ロンドン、ゴッホ、リンカーン夫人、ミケランジェロ、フロイトと、時代もジャンルも多岐にわたっている。


 この本の翻訳は、雑誌連載がまとめられて単行本化されたさい、なぜか『アメリカは有罪だ』(小鷹信光訳 サイマル出版会)というタイトルに変更されている。

 ダロウは、二十世紀初めのアメリカ労働運動史には欠かせない名前だ。IWW(世界産業労働者組合)の指導者を陥れるためにピンカートン探偵社はスパイを傭った。そのフレーム・アップ裁判の弁護士としてダロウは招かれた。コロラド州ボイシー。これはホームズ物語のモデルになった事件とは別だ。ダロウ弁護士は、IWWと主義を共にしたわけではないが、社会的不公正と闘うために弁護を引き受けた。

 この伝記は、アメリカ的正義の伝統と左翼ポピュリズム思想とが幸福な蜜月を過ごしていた時代の産物といえるだろう。ストーンの筆致は講談のように面白い。


『クラレンス・ダロウは弁護する』連載第3回 ミステリマガジン1969.2














『クラレンス・ダロウは弁護する』連載第9回 ミステリマガジン1969.8

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...