サラ・パレツキー『サマータイム・ブルース』Indemnity Only 1982
Sara Paretsky(1947-)
山本やよい訳 ハヤカワミステリ文庫 1985.6
女タフガイの登場。彼女らの系譜は一本しかない。彼女たちは新しいチャンドラー派だ。タフガイにフェミニズムの衣装をまとわせる。
リイ・ブラケットが『非情の裁き』1944(扶桑社文庫)で登場したときのエピソードを思い出してもいい。そのチャンドラー・タッチの鮮烈さは、当時チャンドラーの『大いなる眠り』の映画化を進めていたハワード・ホークスを驚かせた。ブラケットを脚本家として招いたホークスは、じっさいに会うまで作者が女性だとは知らなかったという話。
先駆者はもう一人いる。ドロシー・ユーナックが女刑事シリーズを書いたのは、六〇年代後半だ。『おとり』『目撃』『情婦』(以上、早川書房 ハヤカワ・ミステリ)。ユーナックは後にもっといい作品を書いているが、女刑事シリーズには、基本的な女性ミステリの原型がある。――ヒロインは自分の日常生活を前面に出し、女の自立を励ます。そして仕事で有能さを示し、それを周囲に認めさせたい、といつも突っ張っている。当然ながら彼女は男性優位社会の壁に衝突する。衝突から生まれる数かずの出来事も物語の欠かせない構成要素だ。
ユーナックとパレツキー、グラフトンの作品には濃密な共通項がある。野心的な女性作家がハードボイルド形式を自分流に書き換えてみたとき、底にある情感は同じだった。
私見によれば、ハードボイルドとはセクシズムの砦だった。スピレーンのように露骨に表明しても、チャンドラー・スタイルで気取ってみても本質は同じだ。変わりようがない。ミステリの女王は大勢いたし、頭脳明晰な女性名探偵も大勢いたが、仕上げの大変動は八〇年代に起こった。白人種馬男の最後の砦が陥落したことに一抹の感傷を! カルチャー・ショックはアメリカから発信されてきた。
あるいは、次のような考えも成り立つ――。孤立を怖れず、見てくれを重んじ、身のまわりの情景をじっくりと観察し、失意を他人事のように受け止めるといった「タフガイらしさ」とは、あんがい女性的な現実処理なのかもしれない。
『サマータイム・ブルース』はプロットもほぼ定石通り進んでいく。事務所を訪ねてくる依頼人は、有力銀行の経営者というふれこみ。大学生の息子のガールフレンドを捜してほしいと頼む。関係者が死体となり、思わぬところから介入が入り、「事件から手を引け」と脅される。入口はごくありふれた探偵仕事で、その奥に眠っている物語の本体が引き出されてくる仕掛け。その点は安楽にページをめくれる規格品といえよう。
パレツキーの探偵はシカゴを本拠とする。イタリア系とポーランド系の混血。最初は金融犯罪を専門にすると謳っていた。広く依頼人から事件を持ちこまれるというより、親戚や仲間内のトラブルを解決していく。女同士のネットワークを育てていこうという強固な意志がある。
初期の何作かは主張もストレートで声高だ。作者は、女性のものに奪い返した読み物に自らの信念を注入することは当然の権利とみなしただろう。日常を丹念に描くことも、生活信条を並べていくことも同じだからだ。