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2023-11-02

5-07 サラ・パレツキー『サマータイム・ブルース』

 サラ・パレツキー『サマータイム・ブルース』Indemnity Only 1982
Sara Paretsky(1947-)
山本やよい訳 ハヤカワミステリ文庫 1985.6

 一九八二年はある種の感慨をもって回顧されるだろう。この年、パレツキーとグラフトンが女性私立探偵ものでデビューした。

 女タフガイの登場。彼女らの系譜は一本しかない。彼女たちは新しいチャンドラー派だ。タフガイにフェミニズムの衣装をまとわせる。

 リイ・ブラケット『非情の裁き』1944(扶桑社文庫)で登場したときのエピソードを思い出してもいい。そのチャンドラー・タッチの鮮烈さは、当時チャンドラーの『大いなる眠り』の映画化を進めていたハワード・ホークスを驚かせた。ブラケットを脚本家として招いたホークスは、じっさいに会うまで作者が女性だとは知らなかったという話。

 先駆者はもう一人いる。ドロシー・ユーナックが女刑事シリーズを書いたのは、六〇年代後半だ。『おとり』『目撃』『情婦』(以上、早川書房 ハヤカワ・ミステリ)。ユーナックは後にもっといい作品を書いているが、女刑事シリーズには、基本的な女性ミステリの原型がある。――ヒロインは自分の日常生活を前面に出し、女の自立を励ます。そして仕事で有能さを示し、それを周囲に認めさせたい、といつも突っ張っている。当然ながら彼女は男性優位社会の壁に衝突する。衝突から生まれる数かずの出来事も物語の欠かせない構成要素だ。

 ユーナックとパレツキー、グラフトンの作品には濃密な共通項がある。野心的な女性作家がハードボイルド形式を自分流に書き換えてみたとき、底にある情感は同じだった。

 私見によれば、ハードボイルドとはセクシズムの砦だった。スピレーンのように露骨に表明しても、チャンドラー・スタイルで気取ってみても本質は同じだ。変わりようがない。ミステリの女王は大勢いたし、頭脳明晰な女性名探偵も大勢いたが、仕上げの大変動は八〇年代に起こった。白人種馬男の最後の砦が陥落したことに一抹の感傷を! カルチャー・ショックはアメリカから発信されてきた。

 あるいは、次のような考えも成り立つ――。孤立を怖れず、見てくれを重んじ、身のまわりの情景をじっくりと観察し、失意を他人事のように受け止めるといった「タフガイらしさ」とは、あんがい女性的な現実処理なのかもしれない。


 『サマータイム・ブルース』はプロットもほぼ定石通り進んでいく。事務所を訪ねてくる依頼人は、有力銀行の経営者というふれこみ。大学生の息子のガールフレンドを捜してほしいと頼む。関係者が死体となり、思わぬところから介入が入り、「事件から手を引け」と脅される。入口はごくありふれた探偵仕事で、その奥に眠っている物語の本体が引き出されてくる仕掛け。その点は安楽にページをめくれる規格品といえよう。

 パレツキーの探偵はシカゴを本拠とする。イタリア系とポーランド系の混血。最初は金融犯罪を専門にすると謳っていた。広く依頼人から事件を持ちこまれるというより、親戚や仲間内のトラブルを解決していく。女同士のネットワークを育てていこうという強固な意志がある。

 初期の何作かは主張もストレートで声高だ。作者は、女性のものに奪い返した読み物に自らの信念を注入することは当然の権利とみなしただろう。日常を丹念に描くことも、生活信条を並べていくことも同じだからだ。

2023-11-01

5-07 スー・グラフトン『探偵のG』

 スー・グラフトン『探偵のG』 ‘G’ is for Gumshoe 1990
Sue Grafton(1940-)
嵯峨静江訳 ハヤカワミステリ文庫 1991.6

 グラフトンの探偵はカリフォルニアを本拠にする。比較されるのは仕方がないにしても、彼女の作品に、それほど痛烈なメッセージをみつけることは難しい。探偵は孤独で仕事一筋の性格を強調される。だが作品の基調は、柔らかく暖かいものだ。探偵は、主観を廃した報告者を装っているが、与える印象は異なっている。

 これは作者がどちらかといえばロス・マクドナルド型に倣おうとしていたからだ。探偵が彼にしか見えない透視力で再構成する人間悲劇。グラフトンのシリーズの初期は、暗く閉じられた家族悲劇を好んで取り上げていた。探偵は触媒であり、前面に出ないほうがいい。彼女はすべてを報告書スタイルで通そうとする。「わたしの名前はキンジー・ミルホーン。事件の報告はいつもと同じように始める」と。

 ただチャンドラー・スタイルは模倣がきいても、ロスマク・スタイルはほとんど継承不可能だ。語り手としての探偵、過去から呼びかける物語を、正確に受け継いだ者はいない。この点、グラフトンはハンデ戦から始めて迂回路を取ったともいえる。


 彼女の物語は彼女の日常をこまかに報告するところから始まる。『探偵のG』では、彼女の誕生日に起こった三つのことが、まず列挙される。アパートの新居に引っ越した。依頼人の母親をモハーヴェ砂漠から連れ戻す仕事を引き受けた。キンジーに怨みを持つ男の殺害予定者リストのトップに立った。仕事に加えて身を守る必要が生じたヒロインはタフな探偵をボデイガードに傭うことになる。筋立てでわかるように、男権要素にたいして作者はずっと柔軟な姿勢を取っている。陰鬱な家族関係にドラマを閉じる方向ではなく、作者は、曲折あるストーリーにヒロインを放りこんでいくことを選ぶ。

 グラフトンのシリーズは、アルファベットの文字を頭にしたタイトルで着実に書き継がれている。現在はQのあたり。


2023-10-31

5-07 パトリシア・コーンウェル『検屍官』

 パトリシア・コーンウェル『検屍官』 Postmortem 1990
Patricia Cornwell(1956-)
相原真理子訳 講談社文庫 1992.1

 女性アマチュア探偵登場の、次は、何か。


 コーンウェルのヒロインが登場した。州検屍局の責任ある役職を持った女性。私立探偵には望めなかった専門的な位置にいる。『検屍官』の翻訳が出たのが九二年。日本でも女性ミステリの勢いにいっそう火がついた時点だ。

 警察小説が私立探偵小説にとって替わる、という時代の流れが女性ハードボイルドにも起こったということだ。ヒロインたちが三十代から四十歳をむかえるあたりにいることが共通している。コーンウェルの小説の初期には平均的なミステリ読者を戸惑わせるような素人っぽさがあったが、グラフトンが語る事件のような細部のアマチュア性はなかった。捜査側のディテールに関しては手堅く固められていた。どちらが上ということではないが、ミニマムな細部重視もまた時代の要請だったかもしれない。


 女性検屍官シリーズは毎回、最新捜査技術、機器の紹介に熱心だ。捜査当局のPRめいたところすらある。ミステリの型としては、勧善懲悪タイプのサイコ・キラー警察小説になる。キラーは適度に印象的な悪役というレベルにとどまっている。

 なお女探偵たちのリストをつづけることはいくらでも可能だ。きりがないから代表選手だけでやめておこう。ここにあげた三人の作家は長くシリーズを書きつづけている。シリーズ作の色調が変容するのは、いずれにしても避けられない。ヒロインのまわりの人物たちがそれぞれの役割で作品を豊かにしていくだろう。男性ハードボイルドが常連チームのファミリー・ストーリーの体裁を帯びていくのと同じだ。彼女たちも初期には思いもよらなかった自分自身の物語に立ち合っているようだ。そこからまた新しい試行錯誤が生まれてくるかもしれない。

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...