ネルソン・デミル『誓約』Word of Honor 1985
Nelson DeMille(1943-)
永井淳訳 文藝春秋1989.3 文春文庫1992.4
ヴェトナム戦争は第二次大戦以上に、アメリカ人の心に傷痕を残した。勝てなかった戦争、大義を喪った戦争。そして従軍兵士と復員兵士にあまりに少なくしか名誉をもたらさなかった戦争。
死者五万八千余、戦闘中行方不明者(MIA)二千四百八十九名という数字は、この戦争でアメリカが被った被害をごく小さくしか表わしていない。おそらく第二次大戦以上に、ヴェトナム戦争は恰好の文学的素材だった。アメリカ軍は短期従軍システムを採用していたので、この戦争に直接かかわった延べ人口は膨大なものになる。従軍体験者の神経不安は社会現象化した。小説に描かれた戦争後遺症の症例は枚挙にいとまがない。ありふれたものになりすぎたとはいえ、それは、七〇年代以降のアメリカ小説が破損された個人像をあつかうにさいして、最も多用した状況だろう。ヴェトナム従軍という過去が与えられたとたんに、その人物は危険な、狂気をはらんだ存在となる。説明は不用だ。
しかしヴェトナム体験の全体への考察となると、作家たちの勢いは鈍いものとなる。大きな体験に立ち向かい、大きな物語を紡ぎだそうとする努力は少なくしか試みられていない。個人に負わされた神経症を気軽に使いまわすことに比べたら、戦争の総体はあまりに巨大すぎたのだろうか。
ティム・オブライエン『カチアートを追跡して』1978(新潮文庫)はすぐれた青春小説だが、それ以上のものとはいえない。作者の構想力は短期従軍者〈ショートタイマーズ〉の視点に限定されているようだ。
『誓約』もまた、そうした限定つきの傑作といえる。軍事法廷という特殊な舞台を使ったリーガル・サスペンス。民間人虐殺にかかわった将校を主人公にすえた。作者は六七年から一年間、激戦期の従軍体験者だ。汚い戦争のダークサイドは後年になって繰り返し暴かれることになるが、その大きなトピックが無用の虐殺と上官への反抗だ。
小説では、虐殺の現場にいた兵士たちが沈黙の誓いを立てる。二十年近く守られてきた誓約が崩れたのは、事件の真相を白日にさらした書物が出たからだ。有罪は免れない。だがだれが自分を裁くのか。だれに審判の資格があるのか。作者は、ソンミ事件に代表される残虐行為を、弁明や正当化ではなく、理解したかったといっている。有罪ならばその有罪性を認めなければならないと。
『誓約』はデミルの出世作となった。以降スケールの大きいサスペンスを連発していくが、志は最もこの作品にこもっている。