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2023-11-12

5-03 マーティン・クルーズ・スミス『ゴーリキー・パーク』

 マーティン・クルーズ・スミス『ゴーリキー・パーク』 Gorky Park 1981
Martin Cruz Smith(1942-)
中野圭二訳 早川書房 1982.8 ハヤカワミステリ文庫 1990.11


 冷戦期の後半に生まれた、未来のないメロドラマ。檻の障壁は、『寒い国から帰ってきたスパイ』においてはベルリンの壁(という歴史的遺物)だった。ここではシベリアの荒野が恋人たちを引き裂く。

 アメリカ作家がソ連警察小説の形式を選ぶことは異色だった。先見的だったといったほうがいい。カミンスキーがモスクワ警察小説シリーズを書くのはペレストロイカ以降だし、フリーマントルのロシア警察小説シリーズはソ連解体の後だ。

 先住民族の血を引くスミスは文字通り、マイナーなミステリ作家だった。ジプシー探偵のシリーズやバチカン市国の諜報員のB級シリーズなどを経て、先住民の呪術と吸血コウモリを組み合わせたパニックもの『ナイトウィング』1977(早川書房)を書く。つづく『スタリオン・ゲート』1986(角川書店)がロス・アラモスの原爆実験基地に材をとっているように、『ゴーリキー・パーク』のシリーズ化は、想定されていなかったろう。


 主人公レンコは、赤軍の英雄だった父親と立身出世を望む妻とによって抑圧された陰鬱な男。公園で発見された不審な他殺死体をめぐって話は型通りに進んでいく。捜査の途上に現われてくる反体制の女イリーナ。そして野性動物捕獲の利権を握ったアメリカ人。捜査官は祖国の官僚制度の腐敗に突き当たる。途中からニューヨーク市警の刑事も参入してくる。題材の先見性はあったが、話の進行は正攻法で手堅い警察小説だ。全体を冷戦体制という檻に封じこめた。

 作者は間隔をあけてこの主人公を登場させている。第二作『ポーラー・スター』1989(新潮文庫)は強制労働につかされたレンコが下級船員として事件に遭遇する話。独立した一編と読んでもさしつかえない。第三作『レッド・スクェア』1992(ベネッセ)は、解体直前のソ連における八月クーデターを直接の背景にした。ペレストロイカの進行を共感をもって描き、一種の証言読み物にもなっている。メロドラマの主役たちには再会の劇的なステージでもあった。最近の第四作『ハバナ・ベイ』1999(講談社文庫)はレンコをキューバに赴かせている。シリーズとしての連続性は無視しても読めるようだ。また作者には、十九世紀イギリスの炭坑地帯を描いた歴史ロマン『ローズ』1996(講談社文庫)もある。


2023-11-11

5-03 ケン・フォレット『鷲の翼に乗って』

 ケン・フォレット『鷲の翼に乗って』On Wings of Eagles 1983
Ken Follett(1949-)
矢野浩三郎 集英社文庫 1984.1

 『鷲の翼に乗って』は、勇壮な冒険アクション読み物ではあるが、小説ではない。事実にのっとったノンフィクションだ。

 この作品においては、重要人物が二人いる。エレクトロニクス・データ・システム社(EDS)の会長ロス・ペロウ。退役グリーンベレー兵士ブル・サイモンズ大佐。書き手は、すでに国際スパイ小説で高名だったが、作品に関しては、この二人ほど重要な役割を果たしていない。

 イラン革命前夜、業務のために駐在していたEDS社社員が収賄容疑で逮捕された。政治交渉で釈放させようとした試みは失敗し、彼らは刑務所に送られてしまう。ペロウは自社の社員が人質になったと受け止め、人質奪還を決意する。救出作戦のためにブル・サイモンズを傭い、チームを編成する。レスキュー・チームはイランの刑務所の模型を使って作戦の訓練をした。しかし社員がさらに堅固な刑務所に移送されたので、訓練は無駄になる。 じっさいの作戦は、七九年の二月、革命派の刑務所襲撃に便乗する形で実行された。


 ペロウはこの成功に飽き足らず、作戦の全体をすぐれた読み物として発表する義務を感じた。彼は、後に第三党から大統領選挙に打って出るわけだが、政治的野心はすでに芽生えていたのだろう。一流の名の売れたライターを傭うことにした。書き手の貢献は、この本に関するかぎり、ごくささやかだったと思える。ペロウは作家の想像力に敬意をいだいてなかったろう。彼が望んでいたものは、個人的な名声でないとすれば、アメリカの失地回復だったはずだ。名誉の回復である。

 カーターの人権外交は人気の高い標語だった。しかし革命後の七九年十一月、テヘランのアメリカ大使館が占拠され、五十二名のアメリカ人が人質にとられたときは事情が異なった。その上、政府によるアメリカ軍兵士の救出作戦は失敗に終わり、その失敗の模様は、全世界に報道された。ヴェトナム敗戦の記憶も新しいうちに、アメリカ政府軍はまたしても無様な失策をさらしたのだ。ペロウが私兵を傭って敢行した作戦の成功は、「民主主義を守る戦い」として宣伝されるべきだと思われた。


 フォレットはライターとしての契約を果たした。ささやかな抵抗にも似て、彼は、イランのような近代化されていない独裁国家にコンピュータ・システムを売りこもうとするEDSの企業理念に疑問を呈した。それはアメリカ民主主義の輸出と介入についての、慎ましい反論であったかもしれない。

 ともあれ面目をつぶしたカーターの席を奪ったのは強い大統領だった。ほとぐなく小説のなかのヒーロー待望も、『レッド・オクトーバーを追え』1984(文春文庫)でのトム・クランシーの登場によって満たされた。

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...