マーティン・クルーズ・スミス『ゴーリキー・パーク』 Gorky Park 1981
Martin Cruz Smith(1942-)
中野圭二訳 早川書房 1982.8 ハヤカワミステリ文庫 1990.11
冷戦期の後半に生まれた、未来のないメロドラマ。檻の障壁は、『寒い国から帰ってきたスパイ』においてはベルリンの壁(という歴史的遺物)だった。ここではシベリアの荒野が恋人たちを引き裂く。
アメリカ作家がソ連警察小説の形式を選ぶことは異色だった。先見的だったといったほうがいい。カミンスキーがモスクワ警察小説シリーズを書くのはペレストロイカ以降だし、フリーマントルのロシア警察小説シリーズはソ連解体の後だ。
先住民族の血を引くスミスは文字通り、マイナーなミステリ作家だった。ジプシー探偵のシリーズやバチカン市国の諜報員のB級シリーズなどを経て、先住民の呪術と吸血コウモリを組み合わせたパニックもの『ナイトウィング』1977(早川書房)を書く。つづく『スタリオン・ゲート』1986(角川書店)がロス・アラモスの原爆実験基地に材をとっているように、『ゴーリキー・パーク』のシリーズ化は、想定されていなかったろう。
主人公レンコは、赤軍の英雄だった父親と立身出世を望む妻とによって抑圧された陰鬱な男。公園で発見された不審な他殺死体をめぐって話は型通りに進んでいく。捜査の途上に現われてくる反体制の女イリーナ。そして野性動物捕獲の利権を握ったアメリカ人。捜査官は祖国の官僚制度の腐敗に突き当たる。途中からニューヨーク市警の刑事も参入してくる。題材の先見性はあったが、話の進行は正攻法で手堅い警察小説だ。全体を冷戦体制という檻に封じこめた。
作者は間隔をあけてこの主人公を登場させている。第二作『ポーラー・スター』1989(新潮文庫)は強制労働につかされたレンコが下級船員として事件に遭遇する話。独立した一編と読んでもさしつかえない。第三作『レッド・スクェア』1992(ベネッセ)は、解体直前のソ連における八月クーデターを直接の背景にした。ペレストロイカの進行を共感をもって描き、一種の証言読み物にもなっている。メロドラマの主役たちには再会の劇的なステージでもあった。最近の第四作『ハバナ・ベイ』1999(講談社文庫)はレンコをキューバに赴かせている。シリーズとしての連続性は無視しても読めるようだ。また作者には、十九世紀イギリスの炭坑地帯を描いた歴史ロマン『ローズ』1996(講談社文庫)もある。