クレイグ・ライス『スイート・ホーム殺人事件』Home Sweet Homicide 1944
Craig Rice(1908-57)
長谷川修二訳 早川書房HPB1957.6、ハヤカワミステリ文庫1976.6
羽田詩津子 ハヤカワミステリ文庫 2009.9
最も有名なシリーズ主人公は、酔いどれ弁護士J・J・マローンのトリオだ。アマチュアの探偵好き夫婦ヘレンとジェイクが加わる。夫婦の素人探偵は『影なき男』のヒットの延長と考えられる路線だ。トリオは協力し合うが、肝心なところでは意地を張り、かえって事件を紛糾させていく。探偵役はたいてい、ドタバタ喜劇のプレーヤーも兼任している。
ただしどんな書き手にしろ、ユーモアとは、うまくこしらえられた擬態であることが多い。カーのファルスに埋めこまれていた感情が多層だったように、ライスの場合も、
アルコールと事件好みのどんちゃん騒ぎの底に沈んでいるのは、胸を突かれるような哀しみだ。こうしたワンダフルな世界では、死体が勝手に移動する。死体もまた夢見る。生きていようが、死んでいようが、哀しいことに違いはない。
『スイート・ホーム殺人事件』は、そうしたライスの主流作品からはトーンを変えている。事件そのものの派手さは抑えられ、探偵チームの日常風景がむしろ主になる。三人の子供をかかえて奮闘する未亡人ミステリ作家の隣家で殺人が起こる。彼女は執筆に忙しく、フィクションの世界にかかりきりだから、出番はごく少ない。探偵役は三人の子供だ。十二歳のエープリルを中心にして十四歳の姉と十歳の弟のトリオ。彼らがマローンのチームとよく似ているのは当然のこと。ライスの描く人物の根っ子は子供なのだから。
彼らの探偵活動の心強い味方は、母親の作になるミステリ・シリーズだ。謎解きのヒントも大人の嘘を見破る手管も、すべてはママの書いた「J・J・レインもの」という教科書に載っている。なおかつ彼らは、母親と独り者の刑事の仲がうまく進展するようにと、いろいろ心をくだく世話好きタイプでもある。この作品は単発だが、ライスの世界の祈願を最も濃密に反映したものといえる。ドメスティック・ミステリ、もしくはコージー派と呼ばれる傾向は、このあたりから発した。キッチンを中心とした日常に事件が絡んでくる。ごく狭い拡がりのなかで話は展開していって、解決をみる。親しい家に招かれて家庭料理をご馳走されるような作品世界だ。
ホーム・スイート・ホームをもじった「ホーム・スイート殺人事件〈ホミサイド〉」というタイトルにコージー派のモチーフは尽くされている。暖かい家庭料理とそれを供してくれる優しいママなんて幻想だ。幻想だからこそフィクションに描く値打ちがある。そしてそういう空間にミステリの題材を生かす試みも――。
殺人と家庭団欒と。ミステリの歴史はさまざまの背反する空間をいとも簡単に結びつけてきた。その新たな成功が、ここから始まったといえよう。