ポール・オースター『シティ・オブ・グラス』City of Glass 1985
Paul Auster(1947-)
山本楡実子、郷原宏訳 角川文庫 1989.4
タフガイの脱構築。壊してつくり直す。そのとき、タフガイは依然としてタフガイなのか? もちろん、女タフガイもまた一種の脱構築だとする議論も成り立つだろう。
間違い電話を入口にした迷路の物語。『シティ・オブ・グラス』は、後につづく『幽霊たち』1986(新潮文庫)、『鍵のかかった部屋』1986(白水社)と一括され、ニューヨーク三部作と称される。最もハードボイルドの痕跡を残しているのが第一作だ。
目端の利くポストモダニストの例にもれず、オースターは商売上手な書き手だ。メインストリーム小説に向かってはこれはミステリではないと主張し、ミステリに向かっては、これはメタフィクショナルなミステリだというポーズをとってみせる。この作品は十七の出版社にボツにされたというアベレージを誇っている。通常の私立探偵小説に書き換えろという誘惑に作者が屈していたら、このアベレージはもっとささやかなものにとどまっていたはずだ。しかし後の名声もまたささやかだったろう。
間違い電話。謎かけのような依頼。分身のペンネームでミステリを書く男。フィクションこそ現実だと信じていた男が現実の事件の捜査に踏みこんでいくと――現実はフィクション以上につくりものめいていた。
ハードボイルドの行動主義が形而上的な問いかけでもあったという点は、つとに指摘されてきた。行動をあからさまに「哲学」に置き換えてしまった作品は初めてだろう。タフガイとは都市に捧げられた供物だ。英雄神話が輝きすぎて、彼が都市小説を書くための便利な「人形」であるという本質は忘れられている。都市ハードボイルドのヒーローは雑踏の中で目立ちすぎる不幸な単独者の影だ。彼の物語が真に必要とされているのではない。都市の物語が要請されているのだ。
彼は「群集の人」に到る手段だ。