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2023-10-30

5-08 ポール・オースター『シティ・オブ・グラス』

 ポール・オースター『シティ・オブ・グラス』City of Glass 1985
Paul Auster(1947-)
山本楡実子、郷原宏訳 角川文庫 1989.4


 タフガイ神話の相対化という趨勢はフェミニズム方面からのみ襲ってきたのではない。その点は公平に見渡しておくべきだ。ポストモダンの波である。

 タフガイの脱構築。壊してつくり直す。そのとき、タフガイは依然としてタフガイなのか? もちろん、女タフガイもまた一種の脱構築だとする議論も成り立つだろう。

 間違い電話を入口にした迷路の物語。『シティ・オブ・グラス』は、後につづく『幽霊たち』1986(新潮文庫)、『鍵のかかった部屋』1986(白水社)と一括され、ニューヨーク三部作と称される。最もハードボイルドの痕跡を残しているのが第一作だ。

 目端の利くポストモダニストの例にもれず、オースターは商売上手な書き手だ。メインストリーム小説に向かってはこれはミステリではないと主張し、ミステリに向かっては、これはメタフィクショナルなミステリだというポーズをとってみせる。この作品は十七の出版社にボツにされたというアベレージを誇っている。通常の私立探偵小説に書き換えろという誘惑に作者が屈していたら、このアベレージはもっとささやかなものにとどまっていたはずだ。しかし後の名声もまたささやかだったろう。


 間違い電話。謎かけのような依頼。分身のペンネームでミステリを書く男。フィクションこそ現実だと信じていた男が現実の事件の捜査に踏みこんでいくと――現実はフィクション以上につくりものめいていた。

 ハードボイルドの行動主義が形而上的な問いかけでもあったという点は、つとに指摘されてきた。行動をあからさまに「哲学」に置き換えてしまった作品は初めてだろう。タフガイとは都市に捧げられた供物だ。英雄神話が輝きすぎて、彼が都市小説を書くための便利な「人形」であるという本質は忘れられている。都市ハードボイルドのヒーローは雑踏の中で目立ちすぎる不幸な単独者の影だ。彼の物語が真に必要とされているのではない。都市の物語が要請されているのだ。

 彼は「群集の人」に到る手段だ。

2023-10-29

5-08 ピート・ハミル『マンハッタン・ブルース』

 ピート・ハミル『マンハッタン・ブルース』Dirty Laundry 1978
Pete Hamill(1935-2020)
高見浩訳 創元推理文庫 1983.6

 ハミルの私立探偵小説も、『マンハッタン・ブルース』から『血の胸飾り』1979、『天国の銃弾』1984とつづき、ニューヨーク三部作と呼ばれている。こちらのポストモダン度はずっと慎ましいので、気づかないで普通のハードボイルド小説として読み終わってしまうだろう。これは、オースターが二度くらいボツにされた時点で心屈して常識的な定型に書き直したような作品イメージを持っている。ストーリーを追うごとに壊れていくのは、作者の力量不足かもしれないが、もっと積極的に定型を壊したかったのではないかとも解釈する余地がある。


 この小説も電話から始まる。ただし遠い過去を呼び覚ますやるせない電話だ。それは、「アパートの一室でチャーリー・パーカーの『オーニソロジー』を聴いているとき」鳴る。具体的な固有名詞によって情感が補強されているところからも明らかなように、第一行から「都市の中の匿名性」という興味は打ち捨てられている。しごくまっとうなハードボイルドの開幕シーンだ。かつての女友だちの電話にかき乱される心。彼がすでに事件の只中にまきこまれているという仕掛けはお馴染みのものだ。

 ハミルはジャーナリストで、この三部作は余技的な色合いが濃い。その分、気ままに形式を遊んだようで、ストーリー展開には定型から外れるところも多い。第三作では、ヒーローのルーツを求めてアイルランドに飛んでいる。


『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...