エラリー・クイーン『災厄の町』Calamity Town 1942
妹尾韶夫訳 新樹社ぶらっく選書1950.4、早川書房HPB1955.7
能島武文訳(ライツビルの殺人事件 ) 新潮文庫 1960.10
青田勝訳 『世界ミステリ全集3』早川書房 1972.8
早川書房HPB 1975.10、ハヤカワミステリ文庫1977.1
越前敏弥訳 ハヤカワミステリ文庫 2014.12
クイーンの成年期は、ニューディールの改革が実を結んできたよりも少し遅れて訪れた。それは天才少年が受ける試練にも似ていた。ハリウッドに飛んでいくつかの事件を解決したあと、彼は地方に、田園地帯におもむく。『災厄の町』に始まるライツヴィルものの開始だ。予告は、エラリー・クイーン・ジュニア名義の子供向けミステリのシリーズでなされていた。
同じ時期に、編集者、アンソロジスト、研究者、書誌学者としての仕事も開花している。「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」(EQMM)の創刊は四一年のことだ。アンソロジーや雑誌につけた、作家紹介や作品紹介の短いコラムには、批評家としてのクイーンの炯眼がきらめいている。アメリカの発見はクイーンの第二期を特徴づける。田舎町に表われる人間模様が普通の人びと、どこにでもいるアメリカ人の肖像を映していた。旧家の三人姉妹という様式性はまだ残っていたが、次女ノーラとジムの葛藤を中心とする物語は、国名シリーズの稚気を大きく踏み出していた。ここにあるのは、エラリー好みの謎ではなく、人間の心理に潜む秘密だった。探偵は自己探求をつづける人物たちの一人にすぎない。
定型ミステリのルールを解除してしまった結果、この作品には、いくらかの綻び、もしくは不安定が生じている。探偵が役割を果たせないこと、妻殺しの容疑をかけられるジムの人間像がぼんやりしていること、ジムの筆跡による三通の手紙の効果が生かされていないこと。模索はまだもどかしい達成しか見ていない。だが一歩は踏み出されたのだ。ミステリの自己発見はその形式の自明性のなかにしかない。そして、アメリカの自己発見とは、常に現にそこに在りながらも欠如として感受される「アメリカ人であること〈ビーイング・アメリカン〉」を発見せねばならない、という衝迫だ。アメリカ人はアメリカ人であるにもかかわらず、自分がアメリカ人であることを充全に感じられない――という独特の条件に縛られている。クイーンの苦闘は二つの方向にかかっていた。
初期の、ミステリの形式論理のなかで自足していた問いかけは、別の外界と衝突することによってさらに錯綜した応答を強いていくのだった。