ロス・マクドナルド『ウィチャリー家の女』The Wycherly Worman 1961
Ross Macdonald(1915-83)
小笠原豊樹訳 早川書房1962.12 ハヤカワミステリ文庫1976.4
そうしたなかでマクドナルドは技法的完成を遂げる。探偵〈ヒーロー〉と社会との関係を定位する独特の語りは、彼以外の何者も成しえなかった深みに達する。だが作家が己れの世界を究めていったとき、時代は先へさきへと疾走していた。
マクドナルドのジャンル的貢献は二点となる。一は、主人公としての探偵〈タフガイ〉の語りの手法を極限にまで高めたこと。二は、ハードボイルド派が追放したはずのトリック要素を貪欲にとりこんだこと。
一については、「ハメット‐チャンドラー‐マクドナルド」スクールという系譜をたてる説を訂正しておいたほうがいい。たしかに都市小説の書き手としてチャンドラーとマクドナルドは傑出している。そのことは彼らの作品の「文学的価値」を示すが、作品世界の近似までは証明しない。チャンドラーはヒーローとしての探偵という小説世界を美しく完成した。追随者で彼を超えた者はいない。その部分では、マクドナルドは彼を継承していない。
マクドナルドが新しくつけ加えたのは、全能の語り手という独特の技法だ。彼は語り手を他の登場人物とは異なる次元に置くことに成功した。探偵は存在するけれど、現存しない。彼は彼の語る事件のなかに「遍在」している。私〈アイ〉の行動は描かれても、彼はその世界で他の人物と同じ様にふるまっているのではない。探偵は、物語にたいしては全能者、描かれる事件にたいしては傍観者である、という二重性にいる。
その複雑な位置は、『ウィチャリー家の女』のラストの犯人と対決する場面に典型的に描かれた。「魂に慈悲を乞う」犯人を前にして、探偵は、慈悲を乞うのは自分だと強く感じる。犯罪を犯したのは犯人でも、その犯罪世界は探偵の所有になる。事件はすべて探偵に属している(ここまで探偵存在を特権化した書き手は彼の他にいない)。
探偵の人格についてマクドナルドはクイーン的問題に悩まされることはなかった。その点はチャンドラー主義の恩恵をこうむった。ヒーローとしての探偵の透明化、非在化。画面全体に貼られるシートのような人物に変えたのだ。だが題材としては、クイーンを継いだ側面が大きい。戦後青年の苦悩を描き、家族のなかの不幸な娘を描き、反抗する息子を描いた。どの事件も過去の土壌から滲み出してくる記憶に彩られていた。彼の最盛期の作品がどれもよく似た印象を持つのは、透明な探偵が絶対的に君臨しているからだ。事件はどれも同じ紋章になる。方法の完成によって、作家は少なくないマイナスも引き受けることを余儀なくされた。
二については、『ウィチャリー家の女』の替え玉トリックを例にとれば、わかりやすい。仔細は省くが、リアリズムを是とする小説世界に「誰某に化けた(変装した)誰某」が登場すること自体、驚きだ。非現実性をものともせず、作家がこうしたシチュエーションを描き入れるのはなまなかのことではない。