ジェローム・チャーリン『ショットガンを持つ男』Blue Eyes 1975
Jerome Charyn(1937-)
小林宏明訳 番町書房イフ・ノベル 1977.5
『ショットガンを持つ男』、『狙われた警視』1976、『はぐれ刑事』1976(ともに、小林宏明訳 番町書房 イフ・ノベルズ)の「はぐれ刑事」三部作にとって、レイシズムはジョークの源泉〈ネタ〉ではない。物語のテーマそのものだ。
三部作は、ラテン系ユダヤ系移民のファミリーとニューヨーク市警との骨肉の抗争を描く。トーンは、リアリズムとは少し違う。ファミリーとはいえ、ゴッドファーザー風のホームドラマの構成もない。犯罪集団も現場の刑事も同じ運命共同体の一員だ。これではとても警察小説の枠には収まりきらない。
ラテン系ユダヤ人とは、マラーノと呼ばれるマイノリティ集団だ。マラーノのギャングの頭目パパ・ガズマンは五人の娼婦に産ませた五人の息子を持つ。末っ子のシーザーの他はみんな
知的障害者だ。別名を死神〈ミスタ・デス〉と呼ばれるパパ。そしてパパを取り巻く人物たちは、ことごとく二重に疎外されたマイノリティだ。記号が二つつく。ダブル・ハイフン付きアメリカ人だ。
『ショットガンを持つ男』の主人公は、ユダヤ系ポーランド系の刑事。対抗する殺し屋は中国系キューバ系。とだれもが二重に入り組んだ出自を持たされている。しかも刑事はユダヤ系なのに、ブロンドで青い目をしている。彼のことを怖れる情報屋の男は「青い目をしたユダヤ人なんて、悪魔に違いない」と思う。その男はアルビノで肌の白い黒人なのだ……。
チャーリンの世界では、ジョークがそのまま人物造型に直結している。シュールレアリズムのような世界だ。彼らが、警察
と犯罪者集団とに分かれているのは表向きのこと。みな幼な馴染みで、同じ共同体に属している。刑事かアウトロウかは、大した意味も持っていない。彼らはみなグロテスクに非アメリカの世界を生きている。その頂点に君臨し、彼らを束ねるのが、マラーノのゴッドファーザーたるパパなのだった。
彼らはコミックブックのヒーローなのか。それともポスト・レイシズムの戯画を先取りしているのか。