ダン・シモンズ『殺戮のチェスゲーム』Carrion Comfort 1989
Dan Simmons(1948-)
柿沼瑛子訳 ハヤカワミステリ文庫 1994.11
『殺戮のチェスゲーム』は分類としてはモダンホラーになる。マインド・ヴァンパイア・テーマの短編「死は快楽」が発展して大長編に肥大した。テーマは引き継がれているが、展開はアクション小説になり、アクションのはざまに作者の誠実なモラルが埋めこまれるという不思議な作品だ。
マインド・ヴァンパイアとは血を吸うように精神を吸い尽くし相手を支配下に置いてしまう怪物の新種。吸血鬼の「進化」種だ。五〇年代なら脳に寄生する異星人という形をとった。最近では、脳を外から操作するマインド・コントローラーと呼ばれるだろう。ホラーのルールでいけば、マインド吸血鬼になる。「死は快楽」が収録された現代吸血鬼アンソロジー『血も心も』1989(新潮文庫)の作品の半
数以上は、マインド吸血鬼ものだった。
「死は快楽」は、ナチスの生き残りのヴァンパイア同士が人間どもを操って戦わせる話だ。そこから長編が接ぎ木されていくと、派手なアクションが息もつかせず連続する。植物化した吸血鬼が昏睡状態下でマインド・コントロール能力のパワーを最大限に発揮する場面などは出色だ。何人かの善玉が出てくるが、暴力は外に現われる見せかけの力だという作品のテーゼによるのか、途中で退場していく。最後にヒーローの位置を託されるのは、肉体的にはほとんど無力なユダヤ人の老人だ。彼に強制収容所の生き残りという要素を与えることによって、作者は、殺戮のチェスゲームの戦いが究極の暴力否定によって浄化されるというアピールを作品にこめた。
この小説で「わたし」は外から犯され、乗っ取られる。その様相のみをとれば、五〇年代SFの変奏であって、新しさはない。しかし「わたし」を防衛するために、作者がヒーローに選ばせた行動は、その古さをカバーしうるヴィジョンに貫かれていた。
無力な老人が超能力の怪物に勝利するという結末は、ホラー小説としてもいささか紋切り型に感じられる。作者はあえて野暮な終幕を選んだのだろう。外から乗っ取られた「わたし」を奪い返すのは、「わたし」の内的な治癒力にほかならない。それがこの物語に示された全的な生還〈サヴァイヴァル〉の内実だ。
シモンズは、ホラーのみならず、『ハイペリオン』1989などのSFでも知られる。短編集として『愛死』1993(角川文庫)がある。