エラリー・クイーン『エジプト十字架の謎』The Egyptian Cross Mystery 1932
エラリー・クイーン Ellery Queen ーー
フレデリック・ダネイ Frederic Dannay(1905-82)
マンフレッド・リー Manfred Lee(1905-71)
『エヂプト十字架の秘密』 伴大矩訳 日本公論社 1934
『エジプト十字架の秘密』 田中西二郎訳 新潮文庫 1958
『エジプト十字架の秘密』 青田勝訳 早川書房HPB 1956
ハヤカワミステリ文庫 1978.4
『エジプト十字架の謎』 井上勇訳 創元推理文庫 1959
新版 創元推理文庫 2009.1
中村有希訳 創元推理文庫 2016.7
『エジプト十字架の秘密』 越前敏弥・佐藤桂訳 角川文庫 2013.9
国名シリーズ十作は、中期の『ギリシャ棺の謎』1931、『エジプト十字架の謎』、『アメリカ銃の謎』1933 あたりに頂点をつくったというのが定説だが、『チャイナ・オレンジの謎』1934や、短編も面白い。
それは後年のクイーンが直面した「悲劇」の大きな因子だった。
国名シリーズ第五作になる『エジプト十字架の謎』では、計四件の、T字型ポールに磔にされる首なし死体の連続殺人事件があつかわれる。ミステリにおける死体は現実の血腥さからは別次元に属するという典型がここにある。「顔のない死体」=本人とは判別できない死体。ここでは、人間はトリックの小道具以上の存在意義を持っていない。
一件目の殺人はTづくしだ。道標にも、交差路にも、被害者の家の扉にも、Tの字があった。これこそエラリー趣味〈エラリアーナ〉の極致だと、作者は強調している。事件が主体で探偵はその付属物となる。だが探偵好みの異常な事件によって、彼の存在は保証される。これがクイーンの初期作品が備える基本構造だった。好みの事件に出会うことでヒーローはミステリのうちに自分の望む高位を得ることができた。ヒーローと物語世界とは幸福な一致をみていた。
彼の出番はもっぱら、異様な殺人の論理的な解析のためにのみ要請されていた。T字の謎について探偵が最後にふるう長口舌はそこにかかる。解決編にある、《というのは、要するに、頭を切断したことには、別の解釈もありえたからです》に続く数ページのおしゃべりは、謎解き小説に特有の論理であり、そして不可欠の儀式だ。独自の様式を備えた言語システム。こうも言える、ああも言える。しかして、なぜこの解決が唯一無二の解決でなければならないか――。探偵はその言葉を語るための特権を持った存在だ。ミステリの近代化はクイーンという第二走者において決定的な完成をみた。より入り組んだ謎を、より巧緻なトリックを、より意外な犯人を、より水際立ったミスディレクションを、より華麗な謎解きを……。こうした目標は疑われることはなかった。達成は同時に、ミステリの黄金期の歴史をつくることでもあった。
探偵〈ヒーロー〉と物語世界との幸福な一致は、クイーン作品において、高いレベルの謎解きミステリを産出しえた。二度と訪れない黄金の日々だった。