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2024-04-03

2-8 リチャード・ライト『アメリカの息子』

 


リチャード・ライト『アメリカの息子』Native Son 1940
Richard Wright(1908-60)
橋本福夫訳 『黒人文学全集』早川書房 1961、 ハヤカワ文庫 1972
上岡伸雄訳 新潮文庫 2022


 そして問題は黒人作家の先行的な一人、ライトに引き継がれる。『アメリカの息子』が出たとき、人種間の問題をミステリ領域で受け止めるだけの素地がどれだけあっただろうか。

 『アメリカの息子』は二つの殺人をあつかっているが、犯罪小説というより、むしろ『アメリカの悲劇』のような古いタイプの自然主義小説の近縁として読める。ドライサーの小説にライトがつけ加えたものがあるとすれば、作者のアフリカ系アメリカ人としてのアイデンティティのみだ、とする元も子もない見解もあるだろう。古びた人種差別抗議小説、というのがこの小説への分類項目だ。

 白人・黒人の人種対立はアメリカのレイシズムのすべてではないが、主要なものだ。現在も変わらない。何よりアフリカにルーツを持つ黒人は、合州国に自らの意志で移住してきた民族集団ではない。十九世紀のなかば過ぎまで奴隷制度を手放さなかった南部諸州は「市民戦争」に敗退したとはいえ、依然として風土に根ざす習慣を捨てていなかった。レイシズムも「習慣」と呼びうる。

 ライトは南部の生まれ。北部の都市部に移動した黒人知識人の一人。一時期、共産主義者だった。

 『アメリカの息子』の主人公ビガー・トーマスは二十歳の青年。作中では少年〈ボーイ〉と指定され、またタイトルも「ネイティヴ・サン」だ。リベラルな白人の住みこみ運転手の職を得るが、そこの娘を事故で死なしてしまう。過失を隠すために、また、殺人(と強姦)の疑いをかけられるのを避けるために、ビガーは娘の死体を地下の焼却炉で焼く。彼の犯罪は、死体隠匿によって、より殺人に近くなる。

 彼は逃亡を重ね、厳寒のシカゴの街を逃げまわった末、逮捕される。その過程で、ビガーは彼を助けた黒人娘ベシーをも殺してしまう。二件の「殺人」が彼の犯罪の内容だ。

 犯罪は、アメリカにおいて黒人であることの意味を考察するための、一つの手段だ。ライトは、『アメリカの悲劇』がとった三部構成を採用している。だがビガーの行動は典型的というより、夢幻的で孤立した印象をもたらせる。彼はどこにでもいる黒人青年ではなく、誇張されたマイナスの性格を多く負わされている。知性は平均以下、性格も粗暴で思いやりに欠ける。容貌も、黒人種の黒さ醜さが際立つ。

 デフォルメはキャラクター設定のみならず、技法処理にもみられる。作者は、故意に、自然主義的な粗野な書き方を選んでいるようだ。しかも、主人公が逮捕された後の第三部を、アメリカ黒人の運命に関する長々しいディスカッションにあてる。この小説だけ読むと、ライトが小説の技法に無頓着な素朴な書き手だと勘違いするだろう。だが、あえて作者は古い技法にしたがい、構成上の欠陥も修正せずに済ましたと思える。

 黒人のマイナス面を肥大させた人間像を問うことによって、ライトが黒人の民族性について限られたヴィジョンしか呈示しえなかったという後代の評価がある。それは誤りだ。彼ほど雄弁にそして能弁に語った者はいない。一つの犯罪は、複雑な社会構成にあって、さまざまな照明を当てられる。ビガーの選択は不可避なものであり、都市の黒人のだれにでも起こりうる状況だった。

 すでに黒人が独自性を示す文化領域は大きく拡がりつつあった。スポーツや音楽などの分野でも、黒人の活躍は目立ってきていた。しかし社会がレイシズムの環から脱却するには、まだ遠い道のりが横たわっていた。

 ライトは『アウトサイダー』1953(新潮社)においてもう一度、デスペレートな反逆者の像を描く。クロス・デイモンと名づけられた主人公は、十字架と悪魔を不吉に背負っている。彼は地下鉄事故で死んだとみせかけ、新たな身分を詐称して生まれ変わろうとする。彼もまた殺人者であり、ファシスト一人とコミュニスト二人を殺す。殺人というメタファーに表われた算術は、作者の混迷を経た思想的到達点でもあるだろう。



『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...