ジョン・フランクリン・バーディン『悪魔に食われろ青尾蠅』Devil Take the Blue-Tail Fly 1948
John Franklin Bardin(1916-81)
浅羽莢子訳 翔泳社 1999.10、創元推理文庫 2010.12
話はヒロインが精神病院から退院する朝から始まる。ストーリーはひたすらこの女性の内面に粘着して進行していく。彼女のなかに現われてくるのは忌まわしい分身だ。過去に受けた家族からの虐待、記憶のひだにまつわりつく殺人。サイコ・ミステリの基本的な小道具はそろえられている。「青尾蠅」を歌う黒人霊歌が悪魔の声の代用としてヒロインに侵入してくる。
彼女はハープシコード奏者だ。作品のなかには、クラシックを中心に多くの音楽が引用されている。それらはおおむねヒロインの内面の豊かさを映す。だが南部なまりの黒人が口ずさむフォーク・ブルースは別だった。それは混乱の引き金だ。「この男は何かが起きたことを知っている」と彼女は怖れる。黒人は彼女の機嫌を取るように、ギターの曲目をゴルドベルク変奏曲に変えてみせる。だが彼女は元にもどれない。突然の変調を語る場面も繊細な音楽を通して描かれる。作者の計算は、こうした細かい場面にも行き届いている。トンプスンが粗暴な加害者のモノローグによってなした貢献を、バーディンは被害者の物語を描くことによって果たした。どちらも、サイコものの先駆作だ。分身〈ダブル〉の発見という意味では、こちらがはるかに徹底している。