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2023-11-22

4-7 トレヴェニアン『シブミ』

 トレヴェニアン『シブミ』Shibumi 1979
Trevanian (1931-2005)
菊池光訳 ハヤカワ文庫 2011

 トレヴェニアンは、アメリカの物質主義とタフガイ指向への反対者として、自らを位置づけた。彼の描く国際謀略小説は知的なパロディのように読める。『アイガー・サンクション』1972(河出文庫)の主人公は大学教授で登山家。名画コレクションの資金作りのために暗殺を請け負う。こうした設定によって、作者は007シリーズなどに冷笑を浴びせているのだろう。

 『シブミ』では冷笑ぶりは変わらないが、主人公の造型はいっそう複雑さを増している。ニコライ・ヘルという男。孤高のテロリストが対決するのはCIAをも包括した「マザー・カンパニイ」と呼ばれる巨大謀略組織。アラブ過激派とユダヤ人報復グループの暗闘という、それらしい導入部はつくられているが、全体が冗談話のように感じられなくもない。


 タイトルの『シブミ』は(作者の理解するところの)日本的精神主義から取られている。いかにも、アメリカの物質主義に反対して物質主義のエッセンスのようなスパイ小説のパロディを書いてみせた作家らしい所業だ。武士道の対極に「渋み」があるという。章題も囲碁の用語から流用され、作者は、物語の進行そのものを囲碁の対局に擬している。主人公の造型をみると、こうした凝りようがたんに奇をてらった高踏趣味でないことがわかる。ニコライ・ヘルは無国籍の断片から成り立っているような男だ。第一章「布石」に登場する彼は、スペインのバスク地方独立主義者の仲間とともにいる。そして物語は、ニコライの出生を追って、数十年前の上海に飛ぶ。彼は、亡命ロシア貴族とドイツ人の血を引き、占領日本軍の将軍に育てられる。軍

国主義のふところにあって学び、反武士道の精髄を身につける。そして戦時下の日本に移り、敗戦をくぐり、占領軍の下部職員となる。そこで恩人である将軍と再会する。将軍はA級戦犯として連行されてきた。この不幸な再会が一人のテロリストを誕生させたのだった。

 ばらばらの要素を継ぎ足して構成されたような男。シブミの精神で自己を律する。これがアンチ・ヒーロー性の実例だ。謀略小説の主人公に与えられた伝記的事実としては不必要に長く、重たい。

 作者には、他に、警察小説『夢果つる街』1976、サイコ小説『バスク、真夏の死』1983(ともに、角川文庫)がある。

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...