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2023-11-17

5-01 トム・ウルフ『虚栄の篝火』

 トム・ウルフ『虚栄の篝火』The Bonfire of the Vanities 1987
Tom Wolfe(1930-2018)
中野圭二訳 文藝春秋 1991.4


 アメリカの作家が今日、要求されていることはじつに単純なことだ、とウルフはいった。バルザックやディケンズの壮大なリアリズムを復活させ、われわれの社会の一大パノラマを書くべきではないか。ウルフの主張はそれほど目新しいものではないが、彼は自作を権威づける必要があった。ウルフによれば、現代アメリカ小説は、不条理小説やマジック・リアリズム小説、ミニマリズム小説、田舎のKマート小説などなど、要するに窒息しかけている。蘇生者が必要だ。

 『虚栄の篝火』の主人公はウォール街のヤッピー。レーガン時代のエリートだが、彼が生きている街はニューヨークだった。黒人のホールドアップにあい、車で逃げるさいに相手を跳ねとばしてしまう。彼は、差別されたマイノリ


テイを轢き逃げした悪質な白人野郎になる。アメリカは機会均等の国だ。同じ犯罪でも白人なら罪を免れ黒人は厳罰の対象になる――こうした通例は好ましくない。微罪によって、不公平に罰される白人というケースも時どきあってしかるべきだ。というわけで、彼は犯した罪によってではなく、その罪が象徴するものによって罰を受けなければならない破目になる。人種主義の奇妙な逆説が白人の供物を要求した。生けにえである。

 都市生活の全体を描こうとするウルフの野心は、その騒々しい饒舌体によってよく果たされている。そして作者が自覚する以上に、一つの犯罪が肥大して社会の表面に傷をつけていく相を描くことによって、ミステリの領域にも刺激を与えている。月並みな轢き逃げ事件が、それに関わる検事や弁護士、ジャーナリスト、社会運動家などによって、アメリカの良心という「虚栄の篝火」に燃えあがる。炬火をたやすな。

 ウルフの方法は、そのまま野心的なミステリ作家に受け継がれていく。

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...