ラベル

2024-01-04

3-4 チェスター・ハイムズ『イマベルへの愛』

 チェスター・ハイムズ『イマベルへの愛』For Love of Imabelle(A Rage in Harlem) 1957
Chester Himes(1909-84)
尾坂力訳 早川書房HPB 1971.4

 警察小説の選択はマクベインにとって、人気作家への道だった。

 だがフランスの地にあって、ほぼ同時期、ハーレム警察小説シリーズを書き始めたハイムズにとっては、成功はもっと複雑な意識をもたらす出来事だった。ハイムズの自己発見は刑務所でなされた。ライトの同世代として抗議小説を何冊か書いた。それらは黒人文学史のページには残っているけれど、作家には幻滅と失意しかもたらさなかった。彼はパリに渡る。

 その位置は、同じくパリにあって、ヘンリー・ジェイムズ的ヨーロッパ巡礼小説『もう一つの国』1962(集英社文庫)を書いた、もう一人の重要な黒人作家ジェイムズ・ボールドウィンとも異なっていた。

 後に「レイジ・イン・ハーレム」と改題される『イマベルへの愛』には、二人の刑事コンビが登場する。棺桶エドと墓掘りジョーンズという名前といい、銀メッキの銃をやたら撃ちまくりたがる習性といい、コミックブック風のキャラクターだ。明らかに脇役だった人物が、以来、ハイムズのシリーズ主人公となっていく。作者の意図とは離れ、彼らは黒人暴力男の戯画とも受け取れる。

 シリーズは、七〇年代のブラック・アクション映画流行の時期と、九〇年代のブラック・シネマ時代と、二度、映画化されている。後者の、スタッフ、キャストともアフリカ系アメリカ人で固めて創られた『レイジ・イン・ハーレム』が原作の精神に近いことはいうまでもない。

 ハイムズの伝記作者は、「ハーレムは、アメリカの黒い心の故郷だ」と書いている。だが、ハーレム警察小説シリーズは、ハイムズの苦い故郷喪失の証しでもあったのではないか。アメリカ黒人の体験の総体を書き得た者はいない。ライトラルフ・エリスンもボールドウィンも同じだ。アメリカの黒人作家は民族体験の全体を描くことをあからさまに期待されたが、その不可能に立ち往生するのが常だった。ハイムズもまた体験と創作の落差に悩まねばならなかった。警察小説シリーズという型は、いっそう作家に葛藤を強いただろう。

 彼は、騙されても裏切られても純な愛を恋人イマベルに捧げる無垢な男を描いた。彼のまわりで、ペテン師三人組と詐欺師の兄とがドタバタの抗争をくりひろげ、やがては自滅していく。この物語のあと、作家に求められたのはハーレムをのし歩く漫画的な風貌の刑事たちのシリーズだった。

 ハイムズは黒人固有のミステリを書いた初めての作家だ。彼の悲劇のもともすべてそこにあった。形式は人種的矛盾を鎮めることはない。人種問題をスパイスとして割り切って使うほどの余裕は、彼の時代の黒人作家には訪れなかった。


『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...