パトリック・クェンティン『わが子は殺人者』 My son, The Murderer 1954
Patrick Quentinーーリチャード・ウェッブ(Richard Wilson Webb 1901-70)&ヒュー・ウィーラー(Hugh Callingham Wheeler 1912-87) 1952年以降はウィーラー単独名義。大久保康雄訳 創元推理文庫 1961.9 1999.10
クェンティンは夫婦探偵を主人公とするシリーズ(タイトルに「パズル」が冠される)で出発する。このシリーズは、ガードナーやライスやロックリッジ夫妻の作品とは雰囲気が異なる。夫婦の関係はそれほど盤石ではなく、不安定でやがては壊れていってしまう。作品世界が深化するにしたがって人物たちも成長する。成長が関係解消につながっていくところまでを作者は追いかけた。人間の結びつきの崩壊とは、別面では、新しい自分の発見でもある。クェンティンの持ち味は、崩壊とセットになった発見をドラマの基底に置くところにある。崩壊は作家のキャリアにあっては助走とも位置づけられる。
アメリカの家族への信頼を訴えようとしたマガーの被害者捜しミステリは、一つの明快な方法だった。謎解きタイプの物語においては、人物の役割がトリックになりうる。
被害者を捜し、探偵を捜し、目撃者を捜すという変則の進行があぶり出してきたのは、家族の価値だった。後代の余裕をもってながめれば、テーマが初めにあって、それにふさわしい形式的工夫を捜し求めたということになろうか。崩壊という一面から家族を追求したクイーンの試みは、むしろ例外的だとみなせる。クェンティンにとっては、人物の役割は移ろうものだった。あえて被害者捜しを旗印にしなくても、彼の物語は、家族のなかの隠れた関係を解明するところに向かっていく。
『女郎ぐも』1952(創元推理文庫)は、夫婦のシリーズ主人公の間柄が破綻するところから始まる。夫のほうが若い恋人を殺した犯人と疑われる。無実を晴らすための彼の捜査は、無邪気な恋人という仮面を演じていた女の意外な面に向き合うことになる。
事件によって親しい人間の本質に直面させられるという展開方法はミステリではよくある型だ。それを作者は完成に近づけていく。『わが子は殺人者』では、タイトルが雄弁に語るとおり、殺人の容疑者にされた息子への父性愛テーマが浮上してくる。同時に、友人として尊敬してきた男への感情が揺らいでいく。基本的には、怪しくない人物が容疑者の役割を顕にするというパズル・ストーリーの法則で動いている。そこにプラス・アルファがあるのは、「わが子」や親友といった強力な要素をパズルのキーに用いて、補強材にしているからだ。
つづく『二人の妻を持つ男』1955(創元推理文庫)も、同じパターンの話となる。現在の妻とかつての妻。ストーリーの進行とともに、やはり主人公は、前には気づきもし
なかった二人の本質を知っていく。最初にくるショック、つづいて覚醒を力につなげていこうと立ち直る勇気。それがクェンティンの小説にたんなるミステリを超えた感動要素をつけ加えている。