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2024-04-06

2-6 ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ『赤い右手』

 ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ『赤い右手』The Red Right Hand  1945
Joel Townsley Rogers(1896-1984)
夏来健次訳 国書刊行会 1997.1、創元推理文庫 2014.1

 ロジャーズに関するデータはじつのところ貧弱だ。ここに『赤い右手』を並べるのは、カー派についての新解釈を記すためではない。関連としてはごく薄い。『赤い右手』は、これのみで記憶される一作という特別の位置づけにふさわしい傑作でもない。人騒がせな作品、というのが最も妥当な評価だろう。

 まずその文体。《今夜立てつづけに起こった一連の出来事がはらむ不可解な謎の数々のなかで、わけても重要な一つを挙げるとすれば、それはなんといっても、まんまと姿をくらましたあの醜い小男の行方だ》という一人称の書き出し。熱を帯びた主観によって、せきこんで語られる。語られる出来事は、必ずしも整理されたイメージを結んでこない。語り手は事件を起こった順に語らない(あるいは、その能力が欠如している)。自分が語りたいことを優先して語るのみだ。読み進むほどに混迷に突き落とされる。

 ハネムーン旅行中のカップルが怪異な容貌(書き出しの一行につづいて微細に描写される)のヒッチハイカーに殺される。死体の右手は切り取られていた。殺人は一種の密室状況でなされる。密室状況の証人になるのみでなく、語り手は、連続する殺人の死体発見者にもなりつづける。

 こうした叙述スタイルは、書き手が意識的に駆使するケースと、狂熱にまかせて書いた結果できてしまうケースと、二つある。前者は「叙述トリック」と呼ばれる方法。後者はたとえば、ジム・トンプスンのような札つきの作家が選ぶスタイル。『赤い右手』はそのどちらにもあてはまらない。途中で場面のつながりを無視してかかったとしか思えないトンプスンの投げやりなストーリー・テリングに似たところはあるが、少し違う。

 この小説の語り手は「信用できない話者」の典型だ。「信用できない話者」は、作者によって周到にコントロールされるが、『赤い右手』には、そうしたコントロールの形跡を見つけられない。

 読み進んでいくほどに、偶然の符号につきあたる。時間軸が前後する。場面が飛んで、またおかしなところでつながってくる。ミスディレクションと思えるモノ(たとえば語り手のなくした帽子)がばらまかれる。――それらの方法を、ほとんど作者は無自覚に使用しているようだ。

 読者のミスリードを誘う手がかりを配置することも作者の腕の見せ所だ。ところがこの作品の「ニセの手がかり」のほとんどは、推理には無関係なものだったことが判明する。これはたんに作者の技法がつたなく、下手糞なせいだ。他の理由などない。事件が進行通り語られないというのも、要するに、創作初心者のおちいりやすい傾向だった。ミスディレクションを生かせないのも計算違いによる。

 『赤い右手』は、このように駄作・失敗作の条件を山ほど備えていながら、しかし全体として統一像をもって読めてしまうという、奇跡的な作品だ。すべて綿密な計算によって書かれたのだとすれば天才の技だが、ロジャーズの他の作品が評判を呼んでいないことを考えるなら、この一作は、神が偶然に宿った唯一無二のケースとみなされるべきなのかもしれない。


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