ラベル

2024-04-11

ジョン・シングルトンのために

John Singleton(1968-2019) 

 しばらく名前を眼にしていないと想ったら、鬼籍に入っていたとは……。


ミッシング ID 2011   監督

フォー・ブラザーズ/狼たちの誓い 2005 監督

ワイルド・スピードX2 2003 監督

サウスセントラルLA 2001 監督製作脚本

シャフト 2000 監督製作原案脚本出演

ローズウッド 1996 監督

ハイヤー・ラーニング 1995 監督製作脚本

ポエティック・ジャスティス/愛するということ 1993 監督製作脚本 

ボーイズ’ン・ザ・フッド 1991 監督脚本

 
 主要作品をならべてみると、90年代の4作に輝きが集中するような。

 このうち、『サウスセントラルLA』は、ネトフリで配信されている。



 ところで、このサイトは『アメリカを読むミステリ100冊』(2004)をまるごと再録していくためのもの。アカウントはずいぶんと昔に登録していたが、多忙をきわめるうちに、ゴースト・サイトになってしまった。

 コンセプトを変えて、再発動する。


 『アメリカを読むミステリ100冊』は213頁の軽い本で、『北米探偵小説

論』の軽装版のような体裁だが、あつかった対象は少し「増補」したかたちになっている。その意味で、『北米探偵小説論』と最近の『北米探偵小説論21』を橋渡しする位置を占めているようだ。とにかく20年前の論考であり、より『北米探偵小説論』の二〇世紀的「古さ」のほうに近い。

 そのWEB版の「序」に、シングルトンへの追悼が掲げられるのは何故? 

 という疑問には、以降の内容が答えることになるだろう。

 シングルトンは、1980年代後半から10年ほどつづいたブラックシネマの光芒の有力な表現者の一人だった。ブラックアメリカンの激烈なドラマが、アメリカン・ミステリの根源的なテーマとして視野に入れられることは、ほとんどなかった。『北米探偵小説論21』の「ブラック・ノワール」の章が、やっとその入口に立った、というところか。



イントロダクション

 イントロダクション


 いずれにしても、二十世紀はアメリカの世紀だった。これからもそうであるかは別として。

 本書は歴史の書物ではない。アメリカのミステリの変遷と、その書き手たちの転変を考察する。ほぼ発表年代を追って作品を並べた。目次を見るとガイドブックのようだが、まるごとミステリガイドではない。

 十年ほど前の世紀末と呼ばれた時期に比べると、未来への展望を語る論調はかなり確固たるものになってきていると感じる。明であれ暗であれ、漠然とした期待や不安はなりをひそめてきた。希望が水増しされたのか、それともさらに目減りしたのか。

 グローバリゼーションに向けての楽天的な見通しは花盛りだ。世界はもっとアメリカ化する?

 本書の体裁は「百年で百冊をふりかえる」式に従っている。重要な作家については複数項目にわたったケースもあるが、原則は、一人一回の登場だ。年代順の名作・問題作リストが語るのは、明日への希望だろうか。それとも昨日への幻滅だろうか。もし公正な判断があるとすれば、それは寛容な読者の判断にゆだねたい。


 エドガー・アラン・ポーは、この分野の草分けとみなされている。

 ポーに「群集の人」という短い小説がある。ミステリの出立点とされる「モルグ街の殺人」に少し先立つ時期に書かれた。「群集の人」によって二十世紀ミステリの扉は示された。

 「群集の人」は一人の語り手によって語られる。彼を探偵の元型と認めることは、かなり強引な読み取りになる。この短い小説にはストーリーが欠けている。語り手の行動は、おおかたは観察者のものであり、受動的だから、彼を登場人物の一人と考えるのも無理がある。彼は作者自身のイメージから少しも出ていない。

 彼はある秋の夕暮れ、ロンドンのカフェに腰をおろして群集を観察している。彼は書く。というより、作者の独白めいているのだが、「世の中には語りえない不思議がある」と、荘重をよそおって書き出している。彼は病みあがりの回復期にあって、行き過ぎる雑踏を眺めている。

 小説の前半は、夜ふけにいたるまで彼の目に映りすぎていく「群集の人」の報告にあてられる。そのうち彼は痩せこけたみすぼらしい老人に目をとめ、魅せられる。男の秘密を探りたいという欲求にとらわれる。彼は老人を尾行する。小説の後半は、未知の男の尾行と監視が占める。静から動への移行だ。

 ふつうの読み物であれば、これは事件の入口にすぎない。何かが次に起こる。

 しかし「群集の人」では何も起こらない。彼は明け方まで尾行をつづけ、次の日も、驚くべきことに、休みなく都会を移動する。二日にわたる無為の尾行の果てに、彼はようやく結論をくだす。この老人は「群集の人」なのだと。そうした存在の心の中を覗くことはできないのだと感慨して、小説の書き出しにもどる。語りえない不思議な事の例がここにあったと。

 この老人の犯した犯罪などを期待する者にとっては、小説は竜頭蛇尾を思わせて終わる。

 作者は、「犯罪のエッセンスは、ついに顕われることがない」とか、素知らぬふりをして最初に書きつけている。

 いわば、これは、ポーが開示した未完の謎かけでもある。

 後代のミステリ作家は、群集のヴェールの向こうにある犯罪の発見に到った。群集と犯罪の相関について、ポーが示唆した通路をとだった。しかしこれだけでは充分でない。

 ポーの最初の理解者だったボードレールは、『巴里の憂鬱』に書いている。「群集〈マルチチュード〉と孤独〈ソリチュード〉とは、置き換え可能な言葉だ」と。「群集の人」を解析する議論の初めのものだが、最も基本的な解釈だろう。「群集のなかの孤独」という命題は、さまざまな曲折を伴って二十世紀のミステリに流れこんでいく。

 ソリチュードの奥底にあるマルチチュードの発見。単独者の魂をかき乱す群集という不可思議な万華鏡の探究。ポーを継いだアメリカのミステリの一世紀はそのことに費やされた。長い探索の旅は、ポーの謎かけによって始まった、といっても過言ではない。


目次
イントロダクション
1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで
2 黄金時代  ――30年代から戦中へ
3 大戦後社会小説の諸相  ――大戦以後から50年代
4 もう一つの黄金時代  ――60年代と70年代
5 世界のための警察国家  ――80年代
6 グローバリゼーション〈革命〉に向けて  ――90年代
7 バッドランズのならず者  ――9.11から現在へ


1 アメリカ小説の世紀
 1 偉大なアメリカ探偵の先駆け
  ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』05
  メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』18
  シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』25
  アーサー・コナン・ドイル『恐怖の谷』14
 2 百パーセントのアメリカ製名探偵 一
  S・S・ヴァン・ダイン『ベンスン殺人事件』26
  S・S・ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』29
  アール・D・ビガーズ『チャーリー・チャンの活躍』30
  T・S・ストリブリング『カリブ諸島の手がかり』29
 3 百パーセントのアメリカ製名探偵 二
  ダシール・ハメット『赤い収穫』29
  ダシール・ハメット『マルタの鷹』30
 4 アメリカの奥の果て
  H・P・ラヴクラフト『インスマウスの影』30


2 黄金時代
 1 予告された悲劇
   エラリー・クイーン『エジプト十字架の謎』32
   エラリー・クイーン『Yの悲劇』33
 2 あらかじめ回避された悲劇
   ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』35
   ジョン・ディクスン・カー『火刑法廷』37
 3 アメリカ的小説工房の名探偵二人
   アール・スタンリー・ガードナー『ビロードの爪』33
   レックス・スタウト『料理長が多すぎる』38
   アーヴィング・ストーン『クラレンス・ダロウは弁護する』41
 4 マルチチュードの女たち
   ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』42
   レイモンド・チャンドラー『さらば愛しき女よ』40
 5 三十年代実存小説の諸相その他
   ジェイムズ・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』34
   ホレス・マッコイ『彼らは廃馬を撃つ』35
   ナサニエル・ウェスト『クール・ミリオン』34
   ジョナサン・ラティマー『処刑六日前』35
 6 死体置場行きロケット打ち上げ
   H・H・ホームズ『死体置場〈モルグ〉行きロケット』42
   クレイトン・ロースン『棺のない死体』42
   ジョエル・タウンズリー・ロジャーズ『赤い右手』45
   オーガスト・ダーレス『ソーラー・ポンズの事件簿』45
 7 この素晴らしき〈ワット・ア・ワンダフル〉ミステリたち
   クレイグ・ライス『スイート・ホーム殺人事件』44
   パット・マガー『七人のおば』47
   アラン・グリーン『くたばれ健康法!』49
 8 アメリカの災厄と光明と
   エラリー・クイーン『災厄の町』42
   ウィリアム・フォークナー『八月の光』32
   リチャード・ライト『アメリカの息子』40
 9 早く来すぎたポストモダン
   キャメロン・マケイブ『編集室の床に落ちた顔』37


3 大戦後社会小説の多様化
 1 クイーン家の出来事
   エラリー・クイーン『十日間の不思議』48
   エラリー・クイーン『九尾の猫』49
   パトリック・クェンティン『わが子は殺人者』54
 2 社会化される個
   ヒラリー・ウォー『失踪当時の服装は』52
   ミッキー・スピレーン『裁くのは俺だ』47
   エド・マクベイン『警官嫌い』56
 3 社会化されざる人びと
   アイラ・レヴィン『死の接吻』53
   フレドリック・ブラウン『彼の名は死』54
 4 アメリカの庭の外で
   チェスター・ハイムズ『イマベルへの愛』57
   デイヴィッド・グーディス『深夜特捜隊』61
   ジム・トンプスン『内なる殺人者』52
  ジョン・D・マクドナルド『夜の終り』60
 5 冷戦と洗脳
   ジャック・フィニイ『盗まれた街』55
   ロバート・ハインライン『人形つかい』51
   リチャード・コンドン『影なき狙撃者』59
 6 クイーンの定員と非定員
   ハリー・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」47
   ジェイムズ・ヤッフェ「ママは何でも知っている」52
   スタンリー・エリン「特別料理」48
   ロアルド・ダール『あなたに似た人』53
 7 暗い鏡の中のマクロイ
   ヘレン・マクロイ『暗い鏡の中に』49
   ビル・S・バリンジャー『歯と爪』55
   ジョン・フランクリン・バーディン『悪魔に食われろ青尾蠅』48


4 もう一つの黄金時代
 1 この不条理な夜に
   カート・ヴォネガット『母なる夜』61
   ジョーゼフ・ヘラー『キャッチ=22』61
   ケン・キージー『カッコーの巣の上で』62
 2 ミラー=マクドナルドの試練
   ロス・マクドナルド『ウィチャリー家の女』61
   マーガレット・ミラー『見知らぬ者の墓』60
 3 アンドロイドペット・シンドローム
   フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』68
   リチャード・ニーリィ『殺人症候群』70
 4 さまざまな定型の継承者たち
   アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会』74
   エドワード・D・ホック「有蓋橋の謎」74(サム・ホーソーンの事件簿)
   ドナルド・E・ウェストレイク『ホット・ロック』70
   ジョー・ゴアズ『ハメット』75
   ジェイムズ・クラムリー『さらば甘き口づけ』78
   ロバート・B・パーカー『レイチェル・ウォレスを捜せ』80
   ローレンス・サンダーズ『魔性の殺人』73
   ビル・プロンジーニ&バリー・N・マルツバーグ『裁くのは誰か?』77
 5 ポスト・レイシズムの視点
   トニイ・ヒラーマン『死者の舞踏場』73
   エド・レイシー『褐色の肌』67
 6 遅れてきた不条理小説
   ジョゼフ・ウォンボー『クワイヤボーイズ』75
   ジェローム・チャーリン『ショットガンを持つ男』75
 7 境界線上に立つ
   トマス・ブロック『超音速漂流』79
   トレヴェニアン『シブミ』79
   ロバート・ラドラム『暗殺者』80 
 8 カウンター・カルチャーの申し子たち
   スティーヴン・キング『シャイニング』77
   ディーン・クーンツ『ウィスパーズ』80


5 世界のための警察国家
 1 アメリカ人よアメリカから出ていけ
  トム・ウルフ『虚栄の篝火』87
  カール・ハイアセン『殺意のシーズン』86
 2 犯罪小説の二人
  ロス・トーマス『神が忘れた町』89
  エルモア・レナード『ラブラバ』83
 3 鷲の翼に乗って
  マーティン・クルーズ・スミス『ゴーリキー・パーク』81
  ケン・フォレット『鷲の翼に乗って』83
 4 すべての哀しきサイコ・キラーたち
  トマス・ハリス『レッド・ドラゴン』81
  ジェイムズ・エルロイ『キラー・オン・ザ・ロード』86
  トマス・ハリス『羊たちの沈黙』88
 5 わたしのなかのわたしでないわたし
  ダニエル・キイス『24人のビリー・ミリガン』82
  ダン・シモンズ『殺戮のチェスゲーム』89
 6 ヴェトナムから遠く離れて
  ネルソン・デミル『誓約』85
  ピーター・ストラウブ『ココ』88
 7 私立探偵小説の変容 一 女探偵登場
  サラ・パレツキー『サマータイム・ブルース』82
  スー・グラフトン『探偵のG』90
  パトリシア・コーンウェル『検屍官』90
 8 私立探偵小説の変容 二 ポストモダンのタフガイ
  ポール・オースター『シティ・オブ・グラス』85
  ピート・ハミル『マンハッタン・ブルース』78
 9 私立探偵小説の変容 三 本流はどこに
  ジェイムズ・エルロイ『ブラック・ダリア』87
  ローレンス・ブロック『八百万の死にざま』82
  アンドリュー・ヴァクス『赤毛のストレーガ』87
 10 新たなアメリカン・ヒーローの登場
  スコット・トゥロー『推定無罪』87
  ジョン・グリシャム『評決のとき』89


6 グローバリゼーション革命に向けて
 1 生まれながらの殺人者たち
  デイヴィッド・リンジー『悪魔が目をとじるまで』90
  ウィリアム・ディール『真実の行方』93
  ジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』97
  グレッグ・アイルズ『神の狩人』97
  トマス・ハリス『ハンニバル』99
 2 過去を振り返る
  マックス・アラン・コリンズ『リンドバーグ・デッドライン』91
  ジェイムズ・エルロイ『ホワイト・ジャズ』92
 3 歴史をさかのぼる
  デイヴィッド・ハンドラー『女優志願』92
  フェイ・ケラーマン『慈悲のこころ』89
  ウィリアム・ヒョーツバーグ『ポーをめぐる殺人』94
  ルイス・シャイナー『グリンプス』93
  シオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』91
  ダン・シモンズ『諜報指揮官ヘミングウェイ』99
 4 夜明けの光の中に
  オットー・ペンズラー『愛の殺人』96
  ローレンス・ブロック『殺し屋』98
  D・W・バッファ『審判』01
  スティーヴン・ハンター『極大射程』93
  トマス・H・クック『夏草の記憶』95
 5 神の見捨てた地
  ジェス・モウリー『ウェイ・パスト・クール』92
  ポーラ・L・ウッズ『エンジェル・シティ・ブルース』99
  マイケル・スレイド『暗黒大陸の悪霊』96
  エドワード・バンカー『ドッグ・イート・ドッグ』96
  リチャード・プライス『フリーダムランド』98
  ボストン・テラン『神は銃弾』99
  ビル・ボナーノ『ゴッドファーザー伝説』99
 6 アメリカ的デラシネの遺書
  パトリシア・ハイスミス『死者と踊るリプリー』91

 
7 バッドランズのならず
 P・J・パリッシュ『死のように静かな冬』01(長島水際訳 ハヤカワ文庫)
 ジェフリー・ディーヴァー『青い虚空』01(土屋晃訳 文春文庫)
 マイクル・クライトン『プレイ 獲物』02(酒井昭伸訳 早川書房)
 バリー・アイスラー『雨の牙』02(池田真紀子訳 ヴィレッジブックス)
 デニス・ルヘイン『シャッター・アイランド』03(加賀山卓朗訳 早川書房)
 エドガー・アラン・ポー「群集の人」1840
 ダシール・ハメット「ターク通りの家」24

1 アメリカ小説の世紀

 1 アメリカ小説の世紀

 二十世紀は第一次世界大戦によって始まったわけではない。だが大戦はいやおうなく二十世紀をスタートさせた。


 アメリカの参戦は大戦の後半からだった。しかし参戦期間の短さと戦闘力を投入した地域の限定にもかかわらず、アメリカが負った戦争の傷は小さくない。全体戦争〈トータル・ウォー〉と大量死〈メガデス〉と。二重の災厄から逃れることはできなかった。

 大戦後の二十年代社会は、歴史のページのなかで、ひどく不安定で頼りない時期のようにみえる。このはざまに、アメリカ式大衆文化のいくつかの分野は開花した。ミステリも項目の一つだ。室内の殺人ゲームと都市が排出する犯罪。アメリカ独自のミステリが始まってきた。

 ジャンルの参加者たちの活動が影法師のように見えるとすれば、彼らの描く影絵には明瞭な図柄があった。


 一は、最初にふれたように「群集の発見」。
 ミステリは孤立者の物語だ。ゲーム的に語られようと、リアルに描かれようと相違はない。群集は物語の奥に潜りこんでいる。都市が代用物となる。

 ポーがヒントを与えた群集のなかの犯罪。犯罪が内実となることによって、群集の威嚇的な姿はふたたび作品の秘められた内部にもどっていく。

 二は、「ミステリの形式性の発見」。
 独自の発展史は、当初から書き手たちに強く意識されていた。ミステリを構成する要素は、長い時を経て整備され成熟を遂げる。パターンが使い尽くされたという意見が有力になってからも数十年が経過している。多くの文化領域に張り巡らされているモダンとポストモダンとの絡まりは、ミステリにおいても複雑な紋様を描いている。システムを完成させようとする力は反作用を呼ぶ。書き手が閉じられたシステムを明敏になればなるほど、テキストは以前書かれた作品の鏡となる。


 三は、「アメリカの発見」。
 アメリカの小説家であることは、他の社会で同じ仕事につくよりもはるかに困難だ。彼は文化的伝統の希薄な土地にあって書き、正体の定かでない大衆に向き合うことを強いられた。アメリカは、その手中にありながら、常に発見されねばならない一つ未知だった。この法則はミステリ専任の書き手にも部分的にあてはまった。

 ミステリの形式性に向き合うことと、独自のアメリカ文化の発見に立ち合うことは、区別されていなかった。


1-1 ジャック・フットレル「十三号独房の問題」

 ジャック・フットレル「十三号独房の問題」The Problem of Cell 13  1905
Jacques Futrelle(1875-1912)



 まず二十世紀初めのアメリカを思い浮かべることから始めよう。

 この国はまだ世界の一等国ではない。グローバリゼーションの先頭で号令をかけているわけではないし、国際社会の「悪者」に向かって「正義の銃弾」を好き勝手にぶちこむ力を備えているわけでもない。文化的にいっても、後進的な辺境という位置にとどまっていた。

 世界を束ねる文化的シンボルを発信することはおろか、自国の文化を誇りをもって輸出する


までも到らなかった。アメリカのなすべきこと〈ビジネス〉はビジネス。文化は期待されていない。

 名探偵が難事件を解決するという、ポーの発明になるミステリ形式も、イギリス産のホームズ経由で逆輸入された。あるいは、事態を強引に解釈すれば――。ホームズ物語が人気を博したのはアメリカ式の雑誌連載短編の形だった(先に刊行された長編二編はあまり評判にならなかった)から、「短編の原理」というアメリカの手柄は有効にはたらいた。


 ホームズの後継者の多くの探偵たちのうち、フットレルの主人公は、比較的早く登場し、しかも長く名前を残した。

 探偵は「思考機械」と仇名される。その本名と科学者としての肩書きを列挙するだけでも、アルファベットの全文字を使いきって足らない。異様に高く張った広い額の大頭。子供のような肉体はその大頭を乗せるには虚弱すぎる。コミック風に誇張された容貌は、論理的推理にのみ生きる存在にふさわしい。

 彼が初めて登場する「十三号独房の問題」はシリーズ中で最も有名な短編。天才探偵が脱出不可能な刑務所の独房から一週間の期限を切って脱出してみせる話だ。


 この一編を含む第一短編集『思考機械』が刊行された1907年には、イギリスでフリーマン、フランスでルブランルルーが登場した。記念すべきメモリアルに、アメリカ作家も遅れをとっていなかった。

 探偵役のキャラクターは奇人探偵というルールに沿っている。推理機械に徹していて、プラス・アルファがない点はかえって時代を超越する。感情のない機械を思わせる探偵の性格にしろ、不可能犯罪へのこだわりにしろ、奇妙に一回りして現代に通じてくる。シリーズ全作品は四十五編あるというが、うち三十編は日本語訳されている


 作者はタイタニック号に乗り合わせていて遭難した。短編六編が作者とともに没したといわれる。生身のフットレルは、思考機械とは違って、脱出不可能な状況から生還できなかったわけだ。

押川曠訳『思考機械』 ハヤカワ文庫 1977.6
宇野利泰訳『思考機械の事件簿』 創元推理文庫 1977.7(後の版では表題に「Ⅰ」の文字が追加される)
池央耿訳『思考機械の事件簿Ⅱ』 創元推理文庫 1979.12
吉田利子訳『思考機械の事件簿Ⅲ』 創元推理文庫 1998.5
(ただし、この3巻選集には「十三号独房の問題」が収録されていない。同文庫のロングセラー古典である江戸川乱歩編『世界短編傑作集1』 1960.7 新版2018.7 で読むべし、ということであろう)

1-1 メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』

 メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』Uncle Abner
Melville Davisson Post(1869-1930)
『アンクル・アブナーの叡智』吉田誠一ほか訳 ハヤカワ文庫 1976.8
『アブナー伯父の事件簿』菊池光訳 創元推理文庫 1978.1、2022.10


 思考機械につづくアメリカ産名探偵はアブナー伯父だ。最初の短編「神の使者」が雑誌掲載された1911年は、チェスタトンのブラウン神父シリーズの第一巻が出た年でもある。これも先駆者として讃えられる名前だ。

 アブナー伯父ものは、十九世紀アメリカ中西部を舞台にした歴史小説としても読める。作品が背景とする時期は、ジェファースン時代の十九世紀初めと、南北戦争前の十九世紀なかばと、二説がある。いずれにせよ作者が「現代」を描くことを避けた点を注目すべきか。

 密室殺人の機械トリックで有名な「ドゥームドルフ事件」のように、トリッキィなものもあるが、探偵が体現しているのは、法と信仰という二つの柱だ。古風なモラルは古びるのではなく、一貫してアメリカの娯楽小説に流れているといえる。作者は弁護士でもあったから、リーガル・サスペンスの先駆けを見い出せる。

 これも有名な「ナボテの葡萄園」に、その定式は表われている。アブナー探偵は法廷の場で犯人を追いつめる。進退きわまった犯人は法廷侮辱罪に問うと脅しつけてくるが、探偵は全能の神の名において反撃する。法と正義と。その二本柱がいささかストレートに表明されるところが、このシリーズの持ち味となる。

 これはアブナーの個性であるのみでなく、作家の姿勢をも語っていた。思考機械にしろ、アブナー伯父にしろ、探偵という人物がいかに社会的な認知を得ていったかを強く反映する。認知を得ることができたかを、である。前者は人間的属性をできるかぎり削り落とす方向を取り、後者はあつかう事件の質はどうあれ作品外にあるイデオロギーで自らを武装していた。そして、どちらも異なった位相において、現代とはずれたところに身を置いていた。

 この点は、第一走者たちの作品を読む上で見落とせないところだ。

 同じ時期、フレドリック・アーヴィング・アンダースン『怪盗ゴダールの冒険』1913(国書刊行会)、エドガー・ライス・バローズ『ターザン』1914(創元推理文庫)などの読み物があった。


1-1 シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』

 シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』An American Tragedy 1925
Theodore Dreiser(1871-1945)


田中純訳 現代アメリカ小説全集 三笠書房 1940、 早川書房 1950、1954
大久保康雄訳 世界文学全集 第3期 第19 河出書房新社1958、 新潮文庫 1960、1978.9
橋本福夫訳 角川文庫 1963-68
宮本陽吉訳 現代アメリカ小説全集 集英社 1970、1975、1978


 アメリカ独自の探偵の本格的な誕生に立ち合う前に、一つの作品に注意しておこう。『アメリカの悲劇』をドライサーは「あるアメリカの悲劇」といった意味合いで問うている。話は非常に単純で、立身出世を願った青年が過去を清算するために恋人を殺す、というありふれたものだ。この作品は戦後、『陽の当たる場所』として映画化されているので、そちらのほうで知られているだろう。作者は、現実の事件に取材していたが、合計十五の同種の事件資料を集めていたという。エゴイズムが起こす悲劇はいたるところに繰り返されていたわけだ。


 これはドライサーの自然主義小説の頂点といわれる。同時に集大成であり、作家は、『シスター・キャリー』1900『ジェニー・ゲルハート』1911と書き継いできたアメリカ社会との抗争の記録を完成した。同時代の他の作品と並べてみると、発表されたのがいささか遅きに失したような印象も与える。

 一人の移民の青年とアメリカの夢との衝突。そこから起こった犯罪は、ドライサーが固有にいだいていた単独者の悲劇という物語を発酵させた。

 主人公は時代の負け組だ。適者が生き残るなら、彼の生き延びる目はない。ドライサーが書き得たのは、負け組社会小説の原型といってもいい。この小説を書き換え、なぞっていくように、後続する「もう一つのアメリカの悲劇」は書き継がれていった。悲劇のみが映し取ることのできるアメリカ社会の本質だ。

1-1 アーサー・コナン・ドイル『恐怖の谷』

 アーサー・コナン・ドイル『恐怖の谷』
 Arthur Conan Doyle(1859-1930)
『恐怖の谷』 The Valley of Fear  『ストランド・マガジン』1914.9-1915.5 初出

   マーティン・リット『男の闘い』 THE MOLLY MAGUIRES 1969

 もともと発明者ポーは、探偵デュパンの肖像を、当時の国際都市パリに住む遊民として描いた。国籍も職業も持たない自由人。こうしたタイプにヒーロー役があてられたことの意味は大きい。アメリカに生きるアメリカ人はミステリという新形式の主人公にはなれなかった。ポーの時代においていっそう鮮明だった文化の後進性は、思考機械やアブナー伯父の登場によって払拭されたわけではない。

 ドイルのホームズ物語の成功は、さまざまな観点から述べられてきた。ウィリアム・ゴドウィン、エミール・ガボリオと、探偵像の源流をポー以外に求める考察もある。

 だが、なぜ彼がかくも長きにわたって広い人気を博しているかは、必ずしも解明されていないように思える。ドイルのストーリー・テラーとしての卓抜さを讃えることでは、この点は深まらない。素人探偵がヒーローになるためには、捜査能力において警察組織よりも優秀という人物が客観的に受け入れられる素地が必要だ。ホームズはデュパンのような遊民ではない。最初から体制側に寄り添った人物であることは間違いない。彼の足は十九世紀末のヴィクトリア朝社会にしっかりとついている。なかば職業的に犯罪を捜査する異能の人物は当の社会に確固たる位置を占めることができた。彼は、犯罪にたいする好奇心と刺激を求める知的スノビズムの具現化ともいえる。

 ヒーローが当該社会に根ざすことのできる安定した位置。これこそ、アメリカの「後進的」ミステリ作家が望んでも得られない渇望の的だった。矛盾はそれを鋭く意識した者によってしか解決されない。二十年代なかばまでそうした存在は現われなかった。

 『恐怖の谷』は、ホームズ譚四長編の最後の作品となる。事件がいったん解決をみた後、第二部の独立した因縁話がつけ加わるといった構成は『バスカヴィル家の犬』を除く他の二長編と同じだ。第二部の舞台が、未開の土地、植民地に取られる点も共通する。ただし『恐怖の谷』の場合は、一八七五年のアメリカ中西部となる。架空の土地名がつけられているが、ピンカートン探偵社は実名で、しかも善玉として出てくる。第二部の話にはモデルがあるが、鉱山町での労働争議にピンカートン社の労働スパイが潜入して組合潰しをはかったことは、公平に描かれているわけではない。労働側に立つか資本家側に味方するかは別としても、作者の視点において、アメリカは(この地方だけにしても)完全な未開の土地だ。

 ホームズ譚においては興味深い統計がある。短編五十六編、長編四編からなるその背景には、非ヨーロッパ世界が強く関わっている。数でいえば半数以上の三十二編。インド、アフリカなど、当時の大英帝国の版図がそれにあたる。犯罪の素因は、植民地もしくは未開の土地でつくられ、イギリス本国に還流してくるという構造だ。野蛮は野蛮の地にある。西欧小説が「自然」とみなした世界観はミステリにもそのまま採用されている。探偵の身分的安定とは、植民地経営が良好にいっていることの尺度でもあった。ホームズ物語が、大英帝国による支配文化を「最も包括的に記録したテキストだ」(正木恒夫『植民地幻想』みすず書房)とする見解はまったく正しい。

 ドイルの物語世界がイギリスによる支配システムを正確に反映していたことは了解がつく。しかし『恐怖の谷』はどうであろうか。十九世紀後半、アメリカがイギリス植民地でなくなってから百年は経過していたはずだ。あるいはドイルの意識内においては、そうした事実はなかったのかもしれない。この点、アメリカ人にとっては(とくに)この小説は憤激の的だったと思える。

 犯罪の源流を国外に求めるという発想は、少なくともアメリカのミステリ作家には訪れなかった。

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...