ボストン・テラン『神は銃弾』God Is A Bullet 1999
Boston Teran
1999(田口俊樹訳 文春文庫)
テランのデビュー作は一転して、純粋培養されたかのような狭い世界に終始する。そのかぎりで無類だ。無類の白人神話。神に見捨てられた土地には単一民族しかいないようだ。
話はごくありふれている。カルト教団に妻を殺され、娘を連れ去られた刑事の復讐。仲間は元教団メンバーのジャンキーの女一人。ここは西部劇と適者生存理論のディズニーランドだ。彼らの追跡は風を追って、神なき土地、荒れ果てた砂漠へといたる。砂漠が戦場だ。裸の暴力が吹き荒れるならず者国家〈ローグ・ステイト〉にあっては、裸の暴力を駆使することだけが答え。彼らの行き着く場所は一つ。神は銃弾。答えは壁に描きなぐられたアフォリズムだ。
煩出する映像的意識のフラッシュバック、BGMに鳴り響くロックンロール、行動と行動とをつなぐ荒々しいメタファー。《自らが処刑される瞬間、グラニー・ボーイは灰色の鋼鉄を見る。しかし、神経が脳に信号を送るまえに、彼の世界も白い太陽の中で粉々に砕かれ、消滅する》388P。これはエルロイ派の新手だ。テランのスタイルは次作『死者を侮るなかれ』2001で、いっそう密度を増す。
ストーリーも人物も、ただ一直線だ。彼らの省察も、それ自体でみるかぎり陳腐なものだ。
砂漠は空虚なる世界の中心、グラウンド・ゼロだ。この文明国の文明も野蛮もすべてがごっちゃに詰まっている。核実験場、有害ゴミ廃棄所、古代の遺跡、ディズニーランド……。ダンテの煉獄とP・K・ディックの悪夢が出会うところ。銃弾がすべての決着をつける。これもアメリカの歌だ。