リチャード・プライス『フリーダムランド』Freedomland 1998
Richard Price(1949-)
2000.6 白石朗訳 文春文庫
プライスはむしろシナリオ作家として知られている。ジェラルド・カーシュ原作の『ナイト・アンド・ザ・シティ』、マーティン・スコセッシ監督の『ハスラー2』、スパイク・リー監督の『クロッカーズ』など。
ゲットーの麻薬密売人の生態を描いた『クロッカーズ』はスコセッシによって映画化される予定だったが、リーに譲られた。『クロッカーズ』原作1992(竹書房文庫)は、映画とはまた別の価値を持つドキュメントだ。小説におけるプライスは、徹底した取材によって都市社会の全体像を浮かび上がらせようとする。
『フリーダムランド』も同じ方法論で貫かれている。通常の意味のストーリー展開よりも、アメリカの都市生活の現
在、そこにうごめく人びとの生態を呈示することに力点がおかれる。舞台はニューヨーク近郊の街。黒人やヒスパニックの低所得者層が居住する。通りを隔てて白人地域がある。人種対立の根はストリートのあちこちに転がっている。この構図が三十年前にエド・レイシーが描いた設定とほとんど変わらないことに驚く。ドキュメントの質は進化していない。進歩しようがないのだ。
街中の医療センターに現われた白人女が、黒人男に襲われ、四歳の息子を乗せたままの車を奪われた、と訴える。発端となる事件には現実のモデルがあった。対立の「境界」で起こる事件は、図式的なばかりに被害者と加害者の役割を色分けしているように思えた。だれもこの肌の色の境界を越えられない。
一つの事件が万華鏡のように照らし出す社会の本質。その克明な報告を試みることは、社会全体の証言者となることだ。プライスがニュージャーナリストのトム・ウルフにならったかどうか知らないが、社会小説を提出する方法は同じだ。
被害者、担当刑事、記者、社会運動家など、関係者たちの生が丹念にたどられるとき、小説のプロットは無用となる。事件は数日間の出来事だが、小説は一大パノラマとして拡がっている。