エドワード・バンカー『ドッグ・イート・ドッグ』Dog Eat Dog 1995
Edward Bunker(1933-2005)
黒原敏行訳 1996 ハヤカワミステリ文庫
バンカーの鮮烈な小説の背景には、一九九四年カリフォルニア州が採択した「スリー・ストライク法」がある。二度凶悪犯罪を犯した者は、三度目はたとえ微罪でも終身刑となる。野球ルールとは違って、ツーストライクまで追いこまれると挽回の余地はかなり少なくなる。
バンカーによれば、人間のリサイクルはきかない。壊れた家庭に生みつけられた子供はストリートに出て非行に走る。例外のない法則だ。少年院や刑務所は犯罪者を再生産するための工場〈アニマル・ファクトリー〉だ。法律はツーストライクからの逆転ホームランを促進する効果を持つのだろうか。
アメリカの弁護士人口の多さはリーガル・サスペンスという国際競争力を備えた商品をつくりだした。しかし犯罪者人口の多さは、ごく少なくしか犯罪者小説を生んでいない。ジャン・ジュネのようなビッグネームは別としても、ジョゼ・ジョヴァンニやオーギュスト・ル・ブルトンのような書き手はおいそれと出てこない。
バンカーは数少ない成功した書き手だ。
『ドッグ・イート・ドッグ』は、タイトルの意味通り、犯罪者のサークルが実社会からはぴったりと締め出されていることを描き出す。犬は犬同士、戯れ合い、喰い合うしかないのだ。しかし物語に教訓話のような余裕はいっさいない。更生の道が見えるとかいった戯言も。はっきりしているのはただ一つ。犬は犬を喰いたくて喰うのでは絶対にない、ということだ。
前科を背負えば白人も黒人扱いだ。稼げる仕事を捜すと、同じように飢えた犬と顔を突き合わすことになる。
行動がいっさいを語り、他には何も語らない。アメリカ小説の固いタフな真理はここに極まっている。スリー・ストライク・アウトで檻のなかにもどるのはご免だ。とすれば、犬のように噛み合いながら死んでみせるしかないのか。――答えはこの小説の行間に流れる深い哀しみにある。
タランティーノ『レザボア・ドッグス』Mr.ブルー役