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2023-11-30

4-4 ローレンス・サンダーズ『魔性の殺人』

 ローレンス・サンダーズ『魔性の殺人』 The First Deadly Sin 1973
Lawrence Sanders(1920-98)
中上守訳 ハヤカワミステリ文庫 1982.1

 サイコ・キラーを描くミステリは『殺人症候群』に先例をみた。犯人の側から覗かれた異常心理の世界だった。サンダーズは、それを捜査側の視点から描いて、警察小説の枠を大きく拡げた。サイコ・キラーがアメリカの社会現象であるなら、要請されているのは、その現象を細大もらさず物語に描きこむことではないか。

 『魔性の殺人』は以降のサイコ・ミステリの基本型をつくりあげた。未知の狂気の殺人を捉えるために、警察機構を主人公にパノラマ的な社会小説を展開していくこと。警察は未知の恐怖から社会を守る代表機関だ。善悪対立の二元論は確固として打ち立てられている。殺人鬼が出没するニューヨークの一区域は、徹底的な解剖学的視点にさらされることになる。

 作者は、善悪の両サイドに代表人物をすえた。善のほうは、分署署長ディレイニー。組織のトップとしての役割だけでなく、勇猛さと正常さを兼ね備えたヒーローだ。いささか紋切り型におちいるほどに彼の像は潔い。悪のほうは当然、サイコ殺人鬼。彼は物語の最初から姿を見せ、その内面を綿密すぎるほどに描かれる。魔性はゆっくりと彼のなかに目覚める。

 彼がある極点にまで舞いあがりかけるのを確かめた上で、作者は、小説の場面をディレイニーの執務室に移動させる。事件はすでに水面下で進行しつつあるはずなのだが、作者のペンは悠々と主人公のまわりを巡っていく。「奴は狂人だ」と彼が断言するまでに、ページは四分の一以上を費やしている。

 犯行が動き出すと彼の姿は霧のなかに退いていく。今度は組織的な捜査の様相が生き物のように捉えられ、犀利に描き分けられていく。殺人に用いられた凶器を特定するまで費やされたパーツの膨大さを考えるのみでも、この物語のスケールを推し測るのに充分だ。読者は犯人の哀れな内面と行動についても情報を与えられる。そしてそれに数倍する分量で、彼を狩り出すための善の動きを報告される。

 この進行と、善悪を描き分ける配分とが、以降の警察小説型サイコ・ミステリの定式となった。

『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...