ローレンス・サンダーズ『魔性の殺人』 The First Deadly Sin 1973
Lawrence Sanders(1920-98)
中上守訳 ハヤカワミステリ文庫 1982.1
『魔性の殺人』は以降のサイコ・ミステリの基本型をつくりあげた。未知の狂気の殺人を捉えるために、警察機構を主人公にパノラマ的な社会小説を展開していくこと。警察は未知の恐怖から社会を守る代表機関だ。善悪対立の二元論は確固として打ち立てられている。殺人鬼が出没するニューヨークの一区域は、徹底的な解剖学的視点にさらされることになる。
作者は、善悪の両サイドに代表人物をすえた。善のほうは、分署署長ディレイニー。組織のトップとしての役割だけでなく、勇猛さと正常さを兼ね備えたヒーローだ。いささか紋切り型におちいるほどに彼の像は潔い。悪のほうは当然、サイコ殺人鬼。彼は物語の最初から姿を見せ、その内面を綿密すぎるほどに描かれる。魔性はゆっくりと彼のなかに目覚める。彼がある極点にまで舞いあがりかけるのを確かめた上で、作者は、小説の場面をディレイニーの執務室に移動させる。事件はすでに水面下で進行しつつあるはずなのだが、作者のペンは悠々と主人公のまわりを巡っていく。「奴は狂人だ」と彼が断言するまでに、ページは四分の一以上を費やしている。
犯行が動き出すと彼の姿は霧のなかに退いていく。今度は組織的な捜査の様相が生き物のように捉えられ、犀利に描き分けられていく。殺人に用いられた凶器を特定するまで費やされたパーツの膨大さを考えるのみでも、この物語のスケールを推し測るのに充分だ。読者は犯人の哀れな内面と行動についても情報を与えられる。そしてそれに数倍する分量で、彼を狩り出すための善の動きを報告される。
この進行と、善悪を描き分ける配分とが、以降の警察小説型サイコ・ミステリの定式となった。