エド・マクベイン『警官嫌い』Cop Hater 1956
Ed McBain(1926-2005)
井上一夫訳 早川書房HPB1959.12 ハヤカワミステリ文庫1976.4
舞台は架空の都市アイソラ。これはニューヨークとみなして誤差はない。都市小説、グループ主人公、組織的捜査のドキュメントという要素を組み合わせた。それにプラスして、マクベインはもう一つ重要な要素をつけ加える。
人種だ。シリーズの常連刑事たちには、それぞれ独自の出自が与えられている。イタリア系、ユダヤ系、アフリカ系などが、うまく配されている。警察社会がとりわけ、人種のるつぼを呈していることは、充分に警察小説を成り立たせる背景だったはずだ。その取り入れは、マクベインが早かったし、よりスマートな出来映えを誇ってもいる。
マクベインは人種を主な素材としたミステリの先駆者とはいえない。マイノリティは社会化されたミステリにとって無視しえない題材となっていた。ビル・S・バリンジャー『赤毛の男の妻』1956(創元推理文庫)、エド・レイシー『ゆがめられた昨日』1957(早川書房HPB)、マッギヴァーン『明日に賭ける』1957(早川書房HPB)などに、黒人刑事、黒人私立探偵が登場してきた。マクベインのうまさは、深刻におちいりがちな題材を、シリーズの群像のエピソードとして短くコンパクトに呈示するところにあった。刑事たちのさりげない日常がさしはさまれる。人種はそこにつけられたスパイスのようなものだった。
『警官嫌い』は、警官ばかり狙った連続殺人事件をあつかう。『九尾の猫』の連続無差別殺人には隠れたリンクが秘められているわけだが、87分署シリーズ第一作の連続警官殺しにも一種の連続キーがある。作者は、ある古典謎解きミステリを(かなり明瞭に)置き換えることによって、キーを作製した。マクベインは、まったく新しい様式を問うたのではなく、古い価値を巧みにブレンドしてみせた。作者はこの人気シリーズに先立って、エヴァン・ハンター名義の非行少年もの『暴力教室』1954(早川書房HPB)を書いている。またアル中の私立探偵の短編シリーズ『酔いどれ探偵街を行く』1958(早川書房HPB)もある。ストーリー・テラーとして多種の傾向に対応していた。不良少年に投影された戦後世代の内面は、たとえばシリーズ第三作『麻薬密売人』1956(早川書房HPB)にも、印象的に描かれている。長いシリーズの全体が社会学的考察のユニークな対象となりつづけるだろう。