ラベル

2023-10-14

6-2 マックス・アラン・コリンズ『リンドバーグ・デッドライン』

 マックス・アラン・コリンズ『リンドバーグ・デッドライン』Stolen Away 1991
Max Allan Collins(1948-)
大井良純訳 文春文庫 2001.1


 伝統の欠如、誇るべき民族的記憶の希薄。アメリカ社会についてよくいわれる論点だ。この国はしばしば、国民国家としてよりも、統合国家としては変則的な、多民族社会のモデル・ケースとして考察される。とはいえ歴史功利主義はどんな社会にも発生する。アメリカと非アメリカが忠誠の証しのシンボルにされた時代もあった。それほど昔のことではないし、完全に払拭されたわけでもない。

 功利主義は、教訓を過去に求めようとする。伝統がなければ、あったように取り繕う。現在の正当化に都合のいい項目のみを過去から拾ってこようとする歴史教育は、どこの国でも至便な支配イデオロギーであるだろう。

 『リンドバーグ・デッドライン』は実話をもとにした現代史物語だ。ネイト・ヘラーという私立探偵のシリーズ主人公を現実の歴史的事件に噛み合わせて「時代」を再構成する試み。歴史ノンフィクションに私立探偵小説の風味と必要最小限の虚構〈フィクション〉を割りこませる方法だ。


 これは多くの書き手が手軽に選ぶ方法だが、コリンズの場合は、ファクトを取り入れる割合が比較的大きい。想像力は限定されるが、それだけ安心して読める。事実に依拠している部分が多いので、むしろ歴史ミステリと受け取れる。

 本作は『シカゴ探偵物語 悪徳の街1933』1983(扶桑社文庫)から数えて五作目。題材はリンドバーグ事件だ。飛行機による大西洋横断に初めて成功した、「翼よあれがパリの灯だ」の空の英雄リンドバーグの愛児誘拐事件である。よく知られた二十世紀のトピックに新発見の事実とかがつけ加えられるのではない。再構成されたエピソードのはざまに、フィクションの人物が孤独なダンスを踊る。私立探偵という人工的な存在の居場所はミステリのステージからじょじょに消えていった。もはや彼にとって最適の場所とは、過去の実話のなかだけかもしれない。歴史上の人物の列に配されることによって、やっと彼は、現実味を取りもどすのだ。


 ここには、ハードボイルド都市小説の可能性についての控え目な提言が見い出せるだろう。


2023-10-13

6-2 ジェイムズ・エルロイ『ホワイト・ジャズ』

 ジェイムズ・エルロイ『ホワイト・ジャズ』White Jazz 1992
James Ellroy(1948-)
佐々田雅子訳 文藝春秋 1996.4 文春文庫 1999.3


 歴史はもうもう一人のタフガイによって、別様の再構成を試みられている。彼は慎み深さとは最も遠い人物だ。彼は起点を五〇年代に求める。
 それ以前の歴史には興味がないのか、あるいはまったく無知なのかもしれない。エルロイの疾走(暴走?)はすでに、『ブラック・ダリア』において始まっていた。ロサンジェルス年代記は、『ビッグ・ノーウェア』1988、『LAコンフィデンシャル』1990(ともに、文春文庫)とつづいて、ここに完結した。殺意と怨念の原点たる五〇年代。彼に、彼にのみ特有の、損なわれた時代。スピレーンの暴力的夢想とマッカーシー議員の妄想プロパガンダに隈取られた時代。彼の呪わしいノワールの原点はそこだ。

 猟奇殺人と「アカ狩り」とセックス・スキャンダル。――男が男であった時代? エルロイの主人公はさらに悪徳警官タイプに求心してくる。制服を着てバッジをつけた悪党が跋扈する暗黒の「神話」。年代記の文体もまた彼のなかで沸騰してくる。記事、報告書を適宜さしはさんでいくモンタージュの方法ばかりではなく、ストーリーの叙述も変容する。過剰で歪んだ情念の物語は、切り詰められたスタイルに押しこまれる。修飾語を削り取った文章は前のめりに切迫する。心象風景を凝縮する名詞がぶつ切りのまま投げ出される。真っ黒〈ノワール〉なかたまりがページを埋め尽くす。


 『ホワイト・ジャズ』はその完成体だ。暴力の詩人。センテンスは構文をていするより先に断ち切られ、爆発を繰り返す。科白とト書きだけのシナリオ状態の描写。

 《焼ける。熱く/冷たく――首筋、両手》

 ――これはほんの一例だ。断片は解体された人間の正確な反映かもしれない。暴力の使徒となってばらばらに壊れてしまった人間像。

 待てよ。これはどこかで見かけた「風景」なのではないかと思う。そうだ。ハメット、ヘミングウェイ、ドス・パソスが試みたこと。エルロイはそれ以上の極地を求めたのだろう。結果がパロディに随したかどうかについては諸論がある。だが、叙述の外面は破壊されてしまっても、彼のなかの悪辣なストーリー・ライターと歪んだ歴史修正主義者は生き残っている。

 エルロイはある種のエッジを示してはくれる。もちろん登りつめた頂上からどうやって降りるかは、まったく別の問題だ。

2023-10-12

6-3 デイヴィッド・ハンドラー『女優志願』

 デイヴィッド・ハンドラー『女優志願』The Boy Who Never Grew Up 1991
David Handler(1952-)
北沢あかね訳 講談社文庫


 とはいえ、コリンズやエルロイの試行は例外とみなしておくほうがいいだろう。歴史は、とくにミステリ作家にとっては、もう少し自在なキャンパスとして受け止められているはずだ。イマジネーションを投げこむ場所が煉獄であったりすれば、無事にもどってくることが難しいからだ。

 ノスタルジアは重要な標識だ。安全か否かを保証してくれるという意味でも。

 ジョン・ダニングが古書マニアの警官を主人公に出世作『死の蔵書』1992を書いたときも、稀覯本の世界にまつわる堅固な過去イメージを利用することができた。

 ウォルター・モズリーは、彼の人種的テーマと創作を調停するために黒人私立探偵の主人公の物語を五十年代の近辺から始めた。『ブルー・ドレスの女』1990から始まるシリーズに過剰なところは何もない。かえって、そうした設定はモズリーが人種問題の現在を慎重に回避するのに役立っている。

 ジェイムズ・サリスも黒人私立探偵のシリーズを問うているが、成立はもう少しややこしい。『コオロギの眼』1997などの作品は六〇年代の経験を再考する欲求にささえられているようだ。

 ゴーストライター、ホーギーを主人公とするハンドラーのシリーズも基調は回顧趣味にある。ホーギーは若くして「天才作家」ともてはやされて成功した。しかし才能は一発屋で終わり、もっぱらゴーストライターで糊口をしのぐことになる。彼に代作を依頼してくるのは、不思議と彼に境遇の似た人物ばかり。かつては成功したが今は尾羽打ち枯らしたひがみっぽい性格に変わっている。その人物がトラブルを抱えていて、代作仕事そっちのけで事件が進行していく、というのが常套の進行だ。

 『笑いながら死んだ男』1988では元人気コメディアン。『真夜中のミュージシャン』1989ではロックンロールのかつてのスーパースター。『フィッツジェラルドをめざした男』1991ではホーギー自身とよく似た才能の枯渇した作家。それぞれ騒動の種になる人物は似たり寄ったりだ。題材から予想されるような暗く湿りがちなところはまったくない。主人公は挫折について、お気楽なポーズを取るのみだ。得意のへらず口には少しも自虐が混じらない。何よりノスタルジアが救いになっている。扱われるのは溯った時代背景だが、ショービジネス界や音楽界や文壇のインサイドストーリーもおまけについてくる。

 『猫と針金』1991、『女優志願』『自分を消した男』1995、『傷心』1996(以上、すべて講談社文庫)と、映画界の内幕ものが多くなっていく。成功と挫折がおりなす人生の明かるみと闇。代作者を頼む者たちのほうがむしろゴーストライターのゴーストにも映ってくるシリーズの持ち味はなかなか得がたい。斜めに構えたノスタルジック・ハードボイルドにも読める。


2023-10-11

6-3 フェイ・ケラーマン『慈悲のこころ』


 フェイ・ケラーマン『慈悲のこころ』The Quality of Mercy 1989
Faye Kellerman(1952-)
小梨直訳 1998.6 創元推理文庫

 『慈悲のこころ』は十六世紀末、ペストの蔓延するロンドンを舞台にした冒険活劇だ。主人公は若き日のシェイクスピア。歴史ミステリとはいっても、時代絵巻にかかる力点が強い。

 ケラーマンは、『水の戒律』1986に始まる、ロサンジェルスを舞台にした警察小説シリーズでも知られている。このシリーズのもう一人の主役はユダヤ人コミュニティの女性教師だ。シリーズ人物にマイノリティの性格が加わるの


は新しい傾向だが、その流れの一つ。

 なお、ケラーマンはロス・マグドナルド=マーガレット・ミラーに次ぐ夫婦ミステリ作家。夫ジョナサンには小児精神科医を主人公にしたシリーズがある。


2023-10-10

6-3 ウィリアム・ヒョーツバーグ『ポーをめぐる殺人』

 ウィリアム・ヒョーツバーグ『ポーをめぐる殺人』Nevermore 1994
William Hjortsberg(1941-2017)
三川基好訳 扶桑社ミステリー文庫 1998.12

 探偵役をもう少しミステリに親しい人物に設定する試みも、もちろん見つけられる。ホームズ譚の生みの親コナン・ドイルはなかでも定番的キャラクターといえるだろう。ドイルは人気ミステリ作家としてのみでなく、オカルト心酔者としても知られる。心霊論者としては不人気だが、こちらのほうが歴史ミステリに登場させるには都合がいい。

 脱出王の奇術師フーディーニとの友情。それがフーディーニの心霊術批判によって亀裂をみてしまったことも、利用しやすいエピソードだ。

 ドイル&フーディーニ・ミステリの一つは、ウォルター・サタスウェイト『名探偵登場』1995だ。奇術師、霊媒、幽霊、心理学者、護衛などが入り乱れる降霊会で起こる密室殺人と、往年のロースンを思い出させるにぎやかな道具立てで迫る。

 『ポーをめぐる殺人』のほうも趣向の凝り方では負けていない。二〇年代のニューヨーク、ポーの小説を見立てにした連続殺人が起こる。たとえば「落とし穴と振り子」……。探偵役はドイルだが、彼のもとにポーが霊魂のかたちで降り立つ。たんに夢の枕元に立つ人物にとどまらない。ポーは「おれこそ実在であって、きみドイルのほうが未来から迷いこんできた亡霊なのだ」などと、深遠なことをのたまう。ありうる設定だと思わせるところが秀逸だ。

 ポーの決め科白は、いうまでもなく「大鴉」の詩句に封じこめられた「ネヴァーモア」の一言だ。もはやない。これを作者は小説の原タイトルに使ったのだった。

 さらにはポーを主人公にした一作がある。スティーヴン・マーロウ『幻夢 エドガー・ポー最後の五日間』1995(徳間文庫)だ。ポーが巷間に横死を遂げる「死の直前」を想像力的に復元してみせた。正確にいうと、主人公はポーではなく、瀕死の状態で幻夢をつむぎ出すポーの幻覚のほうだ。行き倒れになって絶命したことは有名な事実、死の前の五日間は謎のままである。物語はその期間に特別の行動があったとは示さない。その期間にポーのイマジネーションがどれだけ飛翔したかを語っていく。まさにグロテスクとアラベスクのファンタジー。幻想文学のマスターを巧みに利用した、じつに味わい深い幻想小説だ。


2023-10-09

ルイス・シャイナー『グリンプス』

 ルイス・シャイナー『グリンプス』Glimpses 1993
Lewis Shiner(1950-)
小川隆訳 創元SF文庫 1997.12
    ちくま文庫 2014.1


 六〇年代はロック世代にとっては、まぎれもなく「偉大な文化革命」が実現した栄光の日々でありつづける。しかしこういった手放しの情感は、ふつうミステリには流入しにくい。無理にこじ入れても珍品ができあがってしまう。先にあげたサリス作品はかなり屈折にみちて善戦しているほうだ。これは一つに、六〇年代への回顧が、ある特殊な層をのぞいては、身勝手な自己顕示以上のものになりえないからだ。

 『グリンプス』は、SFファンタジーの形で時代への愛惜を歌い上げた数少ない成功例だ。伝説の時代はそれにふさわしい幻を持っているものだ。録音された事実は確認されているけれど音源が見つからない幻のセッション。ステレオ修理屋の主人公レイがこの幻を耳にするところから物


語は始まる。過去を再現して、あの時代の栄光をふたたび幻視しようとする空しい願望。誰もが遠くまでトリップした。トリップしすぎて帰ってこなかった者はいるが、それこそが栄光だった。

 彼は、ジミ・ヘンドリックスが一九七〇年に死なずに済む工作にかりたてられる。死と瞑想と精神拡張、世界を一変させたロックという幻。ジミ・ヘンの「蘇生」は成功するが、かえって彼は多元宇宙の迷路にはまりこんでしまう。死者の送りつづけるメッセージは変更しようがない。


2023-10-08

6-3 シオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』

 シオドア・ローザック『フリッカー、あるいは映画の魔』Flicker 1991
Theodore Roszak(1933-2011)
田中靖訳 文藝春秋 1998.6
    文春文庫 1999.12

 六〇年世代にとって、このゴシック・ミステリの作者の名前は驚きだった。ローザックはカウンター・カルチャーの理論家として記憶されていたからだ。

 それはともあれ、驚きは、幾重もの複雑な仕掛けで送りだされたこの小説の迷宮に向かった。すぐれた映画評論はしばしば常軌を逸しているし、或る映像作家について書かれた書物がその作家の作品自体よりはるかに豊饒で面白い、という皮肉もありえる。この小説の半分は、そうした破格の映画評論の質を備えている。埋もれた映像の天才を発見していく物語は、映像作品から自立して輝く批評者の眼のきらめきに満ちている。虚実入り乱れる映画論の魔力を目の当りにすると、ほとんど無尽蔵な創作材料が二十世紀の映画史には埋められているのではないかという錯覚にすらおちいる。

 フィルムのジャングル探索がこの小説の半面だとすれば、もう半面は異端教団の謎を追うカルト・ミステリだ。芸術家小説には満足できない人向きの受け皿もきちんと備わっている。




『アメリカを読むミステリ100冊』目次

イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀  ――1920年代まで  1 偉大なアメリカ探偵の先駆け   ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905   メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918   シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925   ア...