ジョン・グリシャム『評決のとき』A Time to Kill 1989
John Grisham(1955-)
白石朗訳 新潮文庫 1993.7
ラベル
- 1 アメリカ小説の世紀
- 1-1 偉大なアメリカ探偵の先駆け
- 1-2 百パーセントのアメリカ製探偵Ⅰ
- 1-3 百パーセントのアメリカ製探偵Ⅱ
- 1-4 アメリカの奥の果て
- 2 黄金時代
- 2-1 予告された悲劇
- 2-2 あらかじめ回避された悲劇
- 2-3 アメリカ的小説工房の名探偵二人
- 2-4 マルチチュードの女たち
- 2-5 三〇年代実存小説の諸相
- 2-6 死体置場行きロケット打ち上げ
- 2-7 ワット・ア・ワンダフル・ミステリーズ
- 2-8 アメリカの災厄と光明と
- 2-9 早く来すぎたポストモダン
- 3 大戦後社会小説の諸相
- 3-1 クイーン家の出来事
- 3-2 社会化される個
- 3-3 社会化されざる人びと
- 3-4 アメリカの庭の外で
- 3-5 冷戦と洗脳
- 3-6 クイーンの定員と非定員
- 3-7 暗い鏡の中
- 4 もう一つの黄金時代
- 4-1 この不条理な夜に
- 4-2 奇蹟の夫婦作家
- 4-3 アンドロイドペット・シンドローム
- 4-4 継承者たち
- 4-5 ポスト・レイシズムの視点
- 4-6 遅れてきた不条理小説
- 4-7 境界線に立つ
- 4-8 カウンター・カルチャーの申し子たち
- 5 世界のための警察国家
- 5-01 アメリカ人よアメリカから出ていけ
- 5-02 犯罪小説の二人
- 5-03 鷲の翼に乗って
- 5-04 すべての哀しきサイコ・キラーたち
- 5-05 わたしのなかのわたしでないわたし
- 5-06 ヴェトナムから遠く離れて
- 5-07 女探偵の登場
- 5-08 ポストモダンのタフガイ
- 5-09 私立探偵小説の本流は
- 5-10 新たなアメリカン・ヒーローの登場
- 6 グローバリゼーション〈革命〉に向けて
- 6-1 生まれながらの殺人者たち
- 6-2 過去を振り返る
- 6-3 歴史をさかのぼる
- 6-4 夜明けの光の中に
- 6-5 神の見捨てた地
- 6-6 未来からさかのぼってみれば
- 7 バッドランズのならず者
- イントロダクション
2023-10-24
5-10 ジョン・グリシャム『評決のとき』
2023-10-22
6 グローバリゼーション〈革命〉に向けて
二十世紀の最後の十年の始まりは、湾岸戦争によって区切られる。社会主義圏の内部崩壊は急速に進んだ。アメリカは軍拡競争の苛酷なレースに勝ち残った。冷戦システムは終わりを遂げたが、NATOは存続した。湾岸の「勝利」のあと、アメリカは、ソマリアおよび旧ユーゴスラヴィアの内戦に介入した。
二十世紀の戦争による大量死者数の試算がある。日本一国の総人口を上回る、まさに天文学的な数字だ。それでも全地球の人口は飛躍的に増加している。第二次大戦以降、恒常化してしまった局地戦争の大量虐殺について、人びとの感覚はもはや麻痺して久しい。そのはん頻度にも、数量にも。
とはいえ、最後の十年はグローバリゼーションの時代として強調される。世界はついに一つになった? グローバリゼーションを善だという者も悪だという者も、グローバリゼーションの勢いには逆行できないとする点では、一致している。世界市場、世界商品、世界情報。文化の均質化は怖るべきスピードで進行している。八十年代に始まった自由主義市場の波が新たな「適者生存説」を産出していることは、だれにも否定できない。排除こそが市場の原理だ。
勝ち残るか、負けて廃棄されるか。進化の果ての「人間の条件」が、単純なゲームにしか帰着しない。ことの残酷な皮肉には言葉を喪う。
情報テクノロジー改革の進行も急激だ。インターネットによって、ますます「世界は狭く、国境は意味をなくして」いく。一方で、インターネットにも電話にも無縁な層が大量に取り残される。
ある社会学者は現状を語るのに「ラナウェイ・ワールド」という言葉を使った。コントロールのきかない暴走をつづけるのみでなく、絶え間なく足元から遁走していく世界。
グローバリゼーションはある領域ではアメリカナイゼーションだ。グローバル・カルチャーはあらゆるものを商品として再編成する。ミステリという大衆読み物もそのカタログの一角を占める。
2023-10-20
6-1 デイヴィッド・リンジー『悪魔が目をとじるまで』
デイヴィッド・リンジー『悪魔が目をとじるまで』Mercy 1990
David L. Lindsey(1944-)
山本光伸訳 新潮文庫 1991.1
サイコ・ミステリや映画のなかの異常殺人鬼たちは、八〇年代を過ぎてもしぶとく生き延びた。彼らの紳士録をつくる作業は、九〇年代に入っても手を休めることができない。その領域に潜在する活力が使い果たされてもなお、表層的な現象は持続する。『羊たちの沈黙』以降という問題の立て方をしてもいい。ブームを牽引した作品が作家たちの目標に掲げられ、またジャンルの水準をつくる。さまざまなパターンが繰り返され、かえってこの領域は空前の活況を呈したようにもみえた。
リンジーはテキサス州ヒューストンを舞台にサイコ・キラーものを書きつづけてきたから、便乗派とは区別されるべきだろう。残虐描写の精緻さではかなり上位にくる。
『悪魔が目をとじるまで』は作者の集大成的な作品となる。描かれるのは徹底した性倒錯の世界だ。常人の想像を超えるハードSMの現場でサイコ殺人が連続する。タイトルは死体のまぶたが切り取られるところから来ている。作者は犯人あての興味も手堅くそこに仕込んでみせる。異常性愛のハードプレイと殺人の境界はどこにあるのか? 読者は、異常な精神世界を共にする閉鎖集団こそ謎解きミステリの有効な土壌であったことを、思い出すだろう。
捜査側は、女性刑事とFBI行動科学課の補佐役から成る。ここでは流行の意匠が無難に採用されている。徹底した倒錯世界において、性行為における性差、役割の固定は無意味になる。一般の性行為でならありうる性差別は起こりえないという。単なる猟奇殺人というレベルを超えた思索も展開されるこの作品は、このジャンルの一側面を代表する。
作者は以降、別の路線に切り替え、グアテマラを舞台にしたポリティカル・サスペンス『狂気の果て』1992(新潮文庫)などがある。
2023-10-19
6-1 ウィリアム・ディール『真実の行方』
ウィリアム・ディール『真実の行方』Primal Fear 1993
William Diehl(1924-2006)
田村義進訳 福武文庫 1996.9
リンジーとは逆に、このジャンルには、新規参入組が多い。こぞって『羊たちの沈黙』を超える(と謳った)世紀末的な作品を饗宴していったのだが、おおかたは宣伝倒れに終わった。
ディールの場合も、『フーリガン』1984(角川書店)、『タイ・ホース』1987(角川文庫)といった冒険アクションがすでにある。『真実の行方』は一転して、法廷ものだ。
カトリックの聖職者が殺される。容疑者は一人、その有罪は疑いないようにみえた。ここに介入してくる主人公の凄腕弁護士。有罪を無罪に変える法廷の魔術師といわれる男だ。真実の行方が白紙にもどったところでストーリーが進行する。O・J・シンプスン事件のような現実の判例が示したように、アメリカの裁判は真実の黒白をつけるにあたって独特のシステムを採用する。冤罪による極刑があるのだから、論理上ではその逆の、逆転無罪判決が強行されても不思議はないわけだ。有罪の人物が術策を弄して無罪を掠め取ろうとする話も少なくなかった。ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』1993(創元推理文庫)、ジョン・カッツェンバック『理由』1993(講談社文庫)など。後者は人種問題も含んでいる。
『真実の行方』もこのパターンで、手段を選ばない弁護士が話を主導していく。これだけなら法廷ミステリだが、作者はここにサイコ仕掛けをプラスした。ただし結末には賛否両論があるだろう。
同一パターンのもっと軽い作品はあるが、タイトル紹介は省略したい。そのアイデアはこうだ。ABCDEと五つの人格が解離した多重人格者がいるとする。Eの人格のときに犯した殺人について、記憶の連続していないAの人格は責任を取ることはできない。被疑者がAの人格として出廷すれば、彼は無罪である。……というアイデアで、気の利いた法廷サイコ・ミステリが一丁上がりになるわけだ。
人格交換のゲーム性は、その見地からのみみるなら、恰好のミステリの題材といえよう。しかし取扱いには細心の注意が必要だ。
2023-10-17
6-1 ジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』
ジェフリー・ディーヴァー『ボーン・コレクター』The Bone Collector 1997
Jeffery Deaver(1950-)
池田真紀子訳 文春文庫 1999
成功の要因は、一に捜査官ヒーローの独創、二に敵役キラーのバランスのいい設定にある。それだけでなく、巧みなストーリー操縦術とあざといばかりのドンデン返しもプラスした。作者は意外性にこだわりすぎる傾向もあるが、この作品ではさほど気にならない。
ヒーローの独創とは、その肉体にある。手足がまったく動かない。事故の後遺症で四肢麻痺者になった男。これが、元市警の科学捜査専門家にして、科学捜査法とFBIふうのプロファイリング技術を兼ね備えた名探偵だ。首から下で動かせるのは指一本だけ。文字通り頭脳のはたらきだけで存在する「思考機械」だ。頭脳を酷使しすぎたストレスで発作を起こすとき最も人間的になる。
その手足となって働く助手役には、手堅く女性警官があてられている。
対する殺人鬼も負けず劣らず、創意工夫のキャラクターだ。犯行現場には必ずメッセージと偽の手掛かりを残していく。ボーン・コレクターという異名は彼の誇りなのだ。
寝台に寝た「思考機械」に指示されて女性警官が殺人現場を克明に捜査する場面は、物語の一つのハイライトだ。無線でつながっている彼らの会話。彼女は手錠で縛られた被害者の遺体を調べ報告せねばならない。彼は死体の手首を切断して、証拠品として持ち帰るように命令する。こうしたやりとりは『羊たちの沈黙』が描いた捜査コンビの巧妙な発展なのだが、作者は独自のものをつけ加えたといえる。最新の科学捜査の成果を取り入れる点でも、作者は貪欲なところをみせた。それは頭脳活動以外の面で決定的なハンデを背負ったヒーローの造型によって、いっそう鮮烈な印象を帯びることになった。シリーズは勢いをもって、『コフィン・ダンサー』2000(文藝春秋)など早くも五作を数えている。
2023-10-16
6-1 グレッグ・アイルズ『神の狩人』
グレッグ・アイルズ『神の狩人』Mortal Fear 1997
Greg Iles(1960 -)
雨沢泰訳 講談社文庫 1998.8
セックス専門のサイト「EROS」を舞台に出没する殺人鬼。サイト会員は不特定多数に広がっているが、コアなメンバーは秘密クラブのエリートにも似た紐帯で結ばれている。セックスが物語の根幹を占めている点では、『悪魔が目をとじるまで』と双璧だ。
サイバースペースの匿名コミュニケーション・システムが、殺人という絶対のコミュニケーションによってその匿
名性を破壊される。犯人は犯行の発端からその全身像をさらしている。その像はネット空間のものだから、リアルなレベルでは意味を持たない。サイバースペースを泳ぎ被害者を自在に物色する犯人の姿は奇妙に魅惑的で、戦慄をもたらす。インターネット時代が発明した透明人間。しかもこれは現実の一端なのだ。
主人公がネット上で犯人との会話を試みる長いシーンが出色だ。彼は女性人格に仮想してチャットを挑んでいく。犯人は第一声を放つ。「きみの会話にはパターン化したミスがあるね。音声認識ユニットを使っているのか?」と。そう語るからといって、彼が男である証拠にはならない。会話は、両者の頭脳戦・心理戦であるとともに、サイバー・コミュニケーションのすべてがそうであるように、仮装ゲームでもある。三次元ではないが、かといって四次元まではいかない。三・五次元ほどの不徹底な、しかし未知の空間で展開するゲーム。
『神の狩人』は新たなサイコ空間を小説にもたらせた。
2023-10-15
6-1 トマス・ハリス『ハンニバル』
トマス・ハリス『ハンニバル』Hannibal 1999
Thomas Harris(1940-)
高見浩訳 新潮文庫 2000.4
ったことを意味するのではないか。沈黙は怪物との争闘からの敗北を示すのではないか。レクター第三作が待たれた裏には、こうした懸念も多くあったと思える。
七年の後、レクターは外国での逃亡生活のさなかに捕捉される。彼に不具にされた億万長者が懸賞金をかけていたのだ。FBI組織のなかで孤立を深めるクラリス捜査官もこの追跡劇に関わってくる。物語の多くの部分は、英雄が追いつめられ逆襲に出る冒険アクションに費やされる。残りは、英雄譚の念入りな注釈だ。
ハリスは自らがきりひらいたサイコ・ミステリという領域の幕引きも兼任したというわけだ。彼は端的にいう。もはやサイコ・ミステリは成立しない、と。それは、作家の
沈黙によってではなく、別ジャンルの作品を書くことによって証明された。その事実は人を安堵させるものがある。ともかくも「怪物との争闘」にはっきりした一区切りが、作家の側から与えられたわけだから。
『アメリカを読むミステリ100冊』目次
イントロダクション 1 アメリカ小説の世紀 ――1920年代まで 1 偉大なアメリカ探偵の先駆け ジャツク・フットレル『十三号独房の問題』1905 メルヴィル・D・ポースト『アンクル・アブナーの叡知』1918 シオドア・ドライサー『アメリカの悲劇』1925 ア...
-
John Singleton (1968-2019) しばらく名前を眼にしていないと想ったら、鬼籍に入っていたとは……。 ミッシング ID 2011 監督 フォー・ブラザーズ/狼たちの誓い 2005 監督 ワイルド・スピードX2 2003 監督 サウスセントラルLA ...
-
1 アメリカ小説の世紀 二十世紀は第一次世界大戦によって始まったわけではない。だが大戦はいやおうなく二十世紀をスタートさせた。 アメリカの参戦は大戦の後半からだった。しかし参戦期間の短さと戦闘力を投入した地域の限定にもかかわらず、アメリカが負った戦争の傷は小さくない。全体戦...
-
イントロダクション いずれにしても、二十世紀はアメリカの世紀だった。これからもそうであるかは別として。 本書は歴史の書物ではない。アメリカのミステリの変遷と、その書き手たちの転変を考察する。ほぼ発表年代を追って作品を並べた。目次を見るとガイドブックのようだが、まるごとミステ...